曹洞禅と仏教を楽しむ2

曹洞禅と仏教を楽しむ2

「曹洞禅と仏教を楽しむ」

「曹洞禅と仏教を楽しむ」はFacebookの公開グループでグループ管理人加藤方丈の法話をまとめています。Slowhappy管理人は終活の一環として仏教、特に檀家でもある曹洞宗についての見識を広めようと思っています。法話をまとめることで読み返して少しずつ曹洞宗(仏教)への理解が深められたらと思います。

「見聞一致」

「見聞一致」 4/17
仏教では「見聞一致」と言って「音を観る」と「音を聞く」とは同じです。音とは、人々の苦しみの声のことで、世間の人々の苦しみの声を聞いて、救いを与えて下さる菩薩を「観世音菩薩」と言います。合掌 m(_ _)m

「随処に主となれば、立処皆真なり」4/20
臨済宗の開祖、臨済義玄禅師のお言葉です。
己を離れて真実は無いと言う禅語です。

「死について」 4/22
人間が死ぬ確率は100%らしいです。
遅かれ早かれ必ず通らなければならない、自然の法則「通過点」です。
良寛さまの詩に・・
「花無心にして蝶を招き、蝶無心にして花を尋ぬ」
花は無心に咲く、そこにまた蝶が無心にして訪れる。
「花開くとき蝶来たり蝶、来るとき花開く」
花が咲く頃になると、ちょうど蝶が生まれてきます。
蝶が生まれるころには、ちゃんと花が咲いている。
そして最後・・
「知らずして帝則に従う」
帝則とは天則すなわち自然の法則です。
花も無心、蝶も無心、全て自然の法則にかなっていると言う、良寛さんの教えです。
自然とは・・喜怒哀楽という「人間の計らい」を離れた「如是」の姿です。合掌 m(_ _)m

「悪人正機」

「悪人正機」4/24
浄土真宗の開祖、親鸞上人さまは「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」(悪人正機)とお示しです。
阿弥陀仏が救済したい対象は「衆生」であり、すべての衆生は、末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫たる「悪人」である。
よって自分は「悪人」であると自覚した者こそ、阿弥陀仏の救済の対象であると説かれています。
FBのコメントで「懺悔もせず、詭弁ばかり~で、これも方便じゃ~なんて、罰当たりなこと言ってる者ですから、三途の川ではたちまち強深瀬かと覚悟致しております」とありました。
その覚悟があれば往生間違い無しだと思います。
大乗仏教の醍醐味は「善人も悪人も」「自力も他力も」「信仰心ある者も無い者も」「自分も他人も」「猫も杓子も」全て平等に仏のお慈悲でお救い下さるところです。
どうぞ安心して「一期一会」この世の春を精一杯に謳歌しましょう。
南無阿弥陀仏・・合掌 m(_ _)m

「不生禅」4/25
「不生禅」・・般若心経などに興味のある方などは、ピンときたかも知れません。
「生ぜずであれば・・当然、死せず」ですね。
生まれてない者は、死にようがないのです。
般若心経の・・
「不生不滅」(真実在は、本来生じきたることもなく、滅しゆくということもない)
「不垢不浄」(相対的な汚れもなく、また相対的な浄さもない)
「不増不減」(増えたり、減ったりという、相対変化もない)
正に「禅の悟り」の境地です。合掌 m(_ _)m

「不生の仏心」
臨済宗の盤珪禅師は、人は生まれながらにして仏心を具えています。
仏心は不生にて、迷いも悟りも生死もない「不生の仏心」で暮らすようにと説かれました。
般若心経の「不生不滅 不垢不浄 不増不減」(生ぜず、滅せず、汚れず、浄からず、増えず、減らず)です。
迷わず悟らず心穏やかに今を生きることの大切さを学びたいものであります。合掌 m(_ _)m

「大乗仏教」と「上座仏教」

「大乗仏教」と「上座仏教」4/29
「大乗仏教」と「上座仏教」の違いについてご質問がありました。
学術的な説明は難しいので簡単に説明します。
仏教は、釈尊を起源としてインドから西へ伝播しました。
やがて南方に伝わった仏教を「上座仏教」北方に伝わった仏教を「大乗仏教」と称するようになりました。
上座仏教は、戒律に重点を置き、瞑想によって自己の悟りを目的とします。
大乗仏教は、戒律を柔軟的にとらえ「悉有仏性」の立場から衆生済度を目的とします。
どちらも「仏縁」により成仏を願います。
プロセスは異なりますが「成仏」に優劣は有りません。合掌 m(_ _)m

「法句経」4/29
「人のこの世に 生を得る事は難く やがて死すべきものの 今 生命(いのち)あるは有難し」(法句経)
お釈迦様はある時、大地の土を爪の上にのせ、弟子の阿難尊者に「大地の土と爪の上端における土、いずれが多いか?」と問われました。
阿難尊者は「大地の土の方がはるかに多いです!」と・・お釈迦様は「そうだその通りだ。生きとし生けるものは、大地の土の如く無量無数だけれど、人間として生を受けるということは、爪の上端における土の如く、ごくごく稀である。かけがえのない生命を大切にし、二度とない人生を悔いのないように励みなさい!」と諭されました。
その受け難き人身もやがては滅します。
いつの日か滅する生命が、今日もまだ亡くならずに日暮らしができている・・これほど有難いことは御座いません。
たった一つしかない尊い「今のいのち」を大切に穏やかなの心で精一杯生きて参りましょう。
それが禅の心です。合掌 m(_ _)m

「親鸞聖人の句」 4/29
「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」(親鸞聖人)
「今美しく咲いている桜を、明日も見ることができるだろうと安心していると、夜半に強い風が吹いて散ってしまうかもしれない」ということですが、親鸞聖人は、自分の命を桜の花に喩え「明日自分の命があるかどうか分からない、だからこそ今を精一杯大事に生きていきたい」との思いが込められています。q(^-^q)

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