55歳ボランティアをやってます。

55歳ボランティアをやってます。

55歳ボランティア活動をやってます

人生には、落とし穴があるものですね。
私は、45歳の時にはまりました。

それまで、設備機械の製造販売の会社に勤めて、海外向けの営業や海外に代理店を作る仕事をしていたのですが、資本を提供していた中国の関連会社が倒産し、あおりを受けて勤めていた会社も閉じることになりました。

100名近くの従業員は、親会社の関係会社に割り振られて、とえあえずの職にありつくことはできたのですが、もちろん新しい会社になじめず、辞めた人も少なくありません。
私の場合も新しい会社になじめないひとりでした。

1. 新しい会社に入ってからの仕事:

入社当時こそ3年間は忙しかったです。
海外の提携会社と更新する契約が数件あり、契約書のレビューや交渉などの仕事をしていました。
しかし、そんなに契約更新や新規契約の仕事のある会社ではありません。

3年後からは、ほとんど仕事がなくなりました。
私だけでなく、まわりにもちらほら、そんな人間のいる会社でした。

忙しすぎるのも苦痛ですが、暇すぎるのも苦痛なことを知りました。
いわゆる、社内失業の状態になりました。

会社に出勤する目的は、朝2回と午後1回の体操と、昼ご飯を食べることだけ。
その内に、会社へ行くのも億劫になり、気が付いたら有給休暇もすべて使ってしまい、
うつ病の診断書を提出し、3週間ほどの自宅療養になりました。

復帰後は、別の部門に配属になりましたが、それ以前よりも更に暇になりました。
「文書も回ってこない」, 「メールも来ない」, 「どこから何の依頼もない」。

心療内科の先生に相談すると、「会社以外の別のことで興味を持てるように何かやりたいことを見つけてそれをやりなさい。」と言われました。

2. 初のボランティアに挑戦(ボランティアバスガイド):
暇で時間を持て余している私。
何十年かぶりに図書館へ行ってみました。

図書館へ行っても、特に探したい本もないわけで、棚の宣伝広告を見てみました。
ボランティアの募集が集められていました。

私が手に取ったのは、名古屋市のボランティアバスガイド「メーグル」の広告でした。
名古屋市内をめぐるバスに乗り込みバスガイドをするボランティアです。

その後、その募集のことは忘れてしまっていたのですが、
2週間後、マイナンバーの登録に妻と一緒に区役所へ行った時のことです。

また、私の目に飛び込んできたのです。
ボランティアバスガイド「メーグル」の広告が。

私は、運命を感じました。
すぐに応募し、面接を受けて、通りました。

何度かの研修を受けて、初乗車の日になりました。
背中に「メーグル」と記載された黄色のベストを着て、ボランティアのカードを首から下げます。

1周1.5時間のコース。

名古屋駅から始まり、
トヨタ産業技術記念館 →ノリタケの森 → 名古屋城 → 徳川美術館→文化のみち二葉館 旧 川上貞奴亭 → 名古屋市市政資料館 → 名古屋テレビ搭 → 栄町 → 伏見 → 名古屋城 → ノリタケの森 → トヨタ産業技術記念館 → 名古屋駅
の周遊のコースです。

ガイドする内容は、事前に名古屋市から受領していた“場所とセリフの書かれた案内(約30頁)”をバスの一番前の一人席に座って読むことなのですが、とにかく最初は緊張しました。
ガイドというよりは、小学生の国語の本読みのようになってしまいましたが、土日のどこかで毎月1回、ガイドボランティアをして4年が過ぎました。
最初のころに比べると、若干モチベーションは落ちて来たかもしれませんが、やはりたくさんの乗客の前でマイクでしゃべることで、自分も元気になれる気がします。

3. 日本語教師に挑戦:

会社でインターネットを見ていたら、日本語教師というボランティアの文字が目に入ってきました。
ガイドバスボランティアを始めて3カ月くらい経ったころです。

名古屋市の港区の留学生会館で、毎週土曜日の午前に日本語教室が行われているということでした。

私は、さっそく見学のアポを取付け、見学に行きました。

クラスはレベルに分けて、8~10クラスぐらいが実施されていました。

ボランティアがマンツーマンで教えているテーブル。
中国人留学生だけを集めて教えている10人くらいのテーブル。
中国人残留孤児のご子息(ご子息と言っても60歳から70歳くらいまでのご婦人)を教えているクラス。
「ひらがな」や「カタカナ」の書き方を教えているクラス。
日本語検定を目指している外国人に教えているクラス。

上級のクラスもありました。
扱っている話題は、大江健三郎でした。

来ている国も多種多様です。
中国, ベトナムはもちろん、インドネシアやドイツやイタリアや南米, ロシアや中東の方もいます。

職業もバラバラ。
留学生もいれば、技術実習生の方、無職の方、日本の高校に通っている学生さんもいました。
親子で通っている方もいれば、兄弟姉妹で通ってくる方もいました。

4~5回の見学の後、私は、中国から来た当時中学3年生, 日本の高校進学を目指す男の子を担当することになりました。
初中級のレベルから始めましたが、優秀な子であったこともあって、8か月後、見事日本の高校受験に合格しました。

4. ボランティア団体を紹介するボランティア:

最初にバスガイドを始めた1年くらいしてからでしょうか?

名古屋市が年4回発行している雑誌に、ボランティア団体をインタビューして、それを記事にするボランティアがあることを知りました。

早速見学に行くと、シニアな皆さまが参加している団体でした。
メンバーの数は、5-6人。
3カ月に1度、どこのボランティアをインタビューするかを相談し、決定したボランティア団体とアポを取り、取材して記事にします。

いろんなボランティアがあるのですね。

珍しいところでは、
「お寺に集まるお供えを貧困家庭に送るボランティア」
「女性が美容院で髪の毛を切った後、その髪の毛でかつらを作って、必要な方に提供するボランティア」
「目の不自由な方が映画を理解するために、台詞と台詞の間にナレーションを入れるボランティア」 などなど。

みんな自分ができることをやって社会貢献しようとしているんだ。
ということを知りました。

5. まとめ:

社内失業中でやることがないから始めたボランティアでしたが、現在、ひそかな夢を持っています。
60歳で定年になったら、中国の上海に渡って、日本語教師になりたいと思っています。
そして、時間が合うときは、日本人観光客に上海の町を案内するバスガイドをやってみたいと思います。
そんな風に毎日を過ごしています。

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