地域との関わり方について思うこと

地域との関わり方について思うこと

定年退職が近づいてくると、退職後の生活のあり方について、色々思い悩むこともあるかと思います。会社を辞めた後は自分の「居場所」作りが重要であり、その一つとして、自分の住む地域に積極的に溶け込み、地域活動をすることも選択肢、とはライフプランセミナー等で、講師が良く口にすることです。
この、定年後の地域との関わり方について、思うところを記してみます。

「地域共生社会」という考え方

先日、私が住んでいる市が主催する、すべての人々が”地域・暮らし・生きがい”を共に創り、支え合いながら自分らしく活躍できる地域コミュニティー、「地域共生社会」を実現することを目的とした、”地域サポーター養成講座”に参加してみました。参加者は、大学生、中高年者、高齢者と幅広く、若者世代が持つ思考の柔軟さや行動力と、熟年世代の経験に基づく判断力や内省力がうまく調和し、大変有意義、且つ、楽しいひとときを過ごすことができました。
現在も地方の一部には未だ残っていますが、地域共同体的なコミュニティー機能が健在だった頃は、近所の、あるいは一族の長老的な物知りが、何かあればその都度親身に色々と世話をやいてくれたものでした。しかし、核家族社会が進展した現在、それは望むべくもありません。
それでも現実問題として、自分達が暮らす地域や社会の制度について、様々な疑問や悩みを抱えながらも、誰に聞いたら良いのかわからず、あるいはどうしようもないとあきらめ、自身で抱え込んでいる人たちも少なからず存在することもまた事実です。

地域という「居場は」必ずしも穏やかなところではない

それでは、果たして地域というところは、本当に職場に代わり得る定年後の自分の「居場所」足り得るのでしょうか?
もし、現役時代からそうした地域の活動に関わってきた方であれば、確かにそうだと思います。しかし、これまでそうした地元の人たちとのつきあいは全くなかった給与生活者も多いと思います。それだけではなく、自分がやってきた仕事と比べれば、地域活動なんかたいしたことはないと、自意識の中で思い違いしている方も少なくないのではないでしょうか。
普段から地域を「居場所」として活動している人たちにとって、そんな軽い気持ちで途中から参加する人間が快い筈がありません。上から目線っぽい人だなどと陰口を叩かれ、冷たい目で見られることにもなりかねないでしょう。
地域社会という場所は、ある意味においては職場以上にヒエラルキーの存在する世界でもあります。それも、職場のようなドライな関係ではなく、どちらかと言えばウエットな関係です。職場でも当然ヒエラルキーが支配しますが、せいぜい終業時間までに過ぎず、終業後は酒の席で上司をこき下ろして溜飲を下げることもできます。どんなに職場で嫌なことがあっても、それなりに逃げ場がありますが、地域社会ではそうは行かないでしょう。
このように、「地域」という「居場所は」必ずしも穏やかなところではないのです。多くの住民たちのエゴがぶつかり合うわけですから、それはある意味で当然でもあります。そのうえ慣習として、必然的に長く住んでいる年長者の中から、地域のボス的な存在が出てきます。
しかも職場と異なり、地域に存在するこうした暗黙のルールや人間関係を、研修やOJTで学ぶこともできません。地域活動に携わっている人たちは、それぞれ大変な思いをして活動している現実を理解して置く必用があるでしょう。

まとめ

本気で地域活動に関わるのであれば、しばらくは奉公のつもりで謙虚に振る舞い、こうした地域に特有の慣習をしっかりと身に付ける必用があると思います。
一方で、昔ながらの血縁や地縁と云った濃密な関係ではなく、さりとて現在都市部に顕著な無関心、孤立指向とは全く異なる「知縁社会」、近過ぎず遠からずの風潮が、最も居心地が良いのかも知れません。
こうした現実をしっかり認識したうえで、定年後に自分の「居場所」として地域活動に取り組むことができれば、その地域のためにはもちろん自分自身のためにも、とても有意義な「居場所」足り得るのではないでしょうか。

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