父と母と私

父と母と私

それは突然に

突然にその日は訪れた。

老々介護をしていた両親だった。
父が急に亡くなり今まで、そこにあった日常が無くなった。

母の介護、家事に病院それから役所など全ての事を一人でやっていた。
知ってはいたけど、たまに顔を見に行くくらいしかしていなかった。もっとまめに行っていればよかったと悔やまれる。

終活とかエンディングノートなど聞いたことはあっても、まだ先だろうとたかを括っていた。

父の葬儀が終わってから、バタバタと色んな手続きに追われた。
公証役場にも行った。もちろん年金事務所、法務局にも行った。
母も父がなくなったことはわかっていて、不安を隠せないでいた。
最近はやっと落ち着いてきている。

私にも兄弟はいるけれど、母のことをするために、思いきって仕事を辞めた。
今まで無我夢中で生きてきた、離婚もして子ども三人とも大きくなった。
ただ、トラックのドライバーという仕事では病院すらつれていくことが出来ない。

父は生前「この土地売って二人で施設に入りたい」と良く言っていた。
叶わなかったが、母にはついの住みかを探してあげたい。

終活というと、否定的な意見があることにまずは驚いた。終わりの事なんて、考えたくない。まだ早いといった意見だ。マイナスのイメージがやはり強いのかと思う。相続や遺言書、それにお墓の事といったところかとも思う。
そして考えてみた。

肯定派としては、
○若いうちから終活をしてもいい(20代でも)、未来を考えることができる。
○いつ訪れるかわからないものに不安を感じる必要はない。
○自分でできることは自分で。
○明るく楽しく元気良く。
○自分らしさを失わない。

振り返ると、クリスチャンだった父の人生は自分の事よりも人の為に生きていたなと思う。
最低限は必要かと思うが、自分らしくどう生きていくかを考えるというのがしっくりくる。

人生100年時代といわれる昨今、ちょうど半分。
私自身も振り返り、さぁここから今からどう生きていこうかと考えるチャンスをいただいたように思う。

今回、終活に関して書かせていただいているので、デメリットも想定してみようと思う。ちょっと前にも書いてあることもあるけど、その他もあると思う。

○気持ち的に暗くなる。
○家族に話しづらい。
○法律の問題もある。

まだあるとは思うけど、まずは誰かに話すことが大事なのではないか。

人生一度きりやり残したことありませんか?歳を重ねれば重ねるほど、やり残したこと思い浮かんだりすると思う。
父もその事は口にしていた。
「自分で商売がやりたかった」戦争孤児となり、孤児院から学校に通いそこで人生の師と出会う。米屋のでっち小僧を17年、その頃は米穀通帳なるものがあったりしたそうだ。
お客さんのところに行って御用聞き、イメージはサザエさんに出てくる三河屋さんかな?戦後まもなくの時代、想像を絶する。
話が少しそれたけれど、そこが土台になっているのだと思う。
人ひとりの人生様々なドラマがある。
計り知れない。

心が豊かになれる、家族との絆もふかまったり感謝を伝えられるのではないだろうか。

私もこれを期に終活やエンディングノートといったものに取り組んでみようと思う。父が亡くなったのをきっかけに、兄弟間の交流も復活し、特に義理の妹とは仲良くしている。

息子が三人なので、集まったときには話をしてみようと思う。
どんな反応が返ってくるか楽しみだ。
離れて暮らしているから一緒に考えてくれると尚いい。

買い物に行っても、どこに行っても回りは人だらけ。電車なんかに乗ると特に人ってたくさんいるなと感じる。
その人それぞれに、用意されている人生。
やり残したことが無いように、心が豊かになるように、生きていきたい。1308

過去にも未来にも生きることが出来ない私たち。今、この瞬間にしか生きられない。
平等に与えられているものは時間。
いくらお金があっても時間を巻き戻すことも進めることも出来ない。
全ては最善で、寸分の狂いもない最幸のタイミングで物事、人との出会いはやってくる。チャンスもそうだ。

全てを受け入れて生きていきたいと思わずにはいられない。

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