葬送儀礼について考えてみる

葬送儀礼について考えてみる

核家族社会の進展と共に、相互扶助的なコミュニティー機能が失われて久しい都市部を中心に、今や葬送産業の市場規模は数兆円と言われ、葬儀社や互助会に留まらず、生命保険や流通業、生協やJA等々、異業種からも続々と参入がなされています。こうした現代の葬送儀礼について考えてみます。

一般的な葬送儀礼の現状

現在は大多数の方が病院で亡くなる事が多く、葬儀社の手により、遺体は自宅、又は、葬儀社の提供する遺体安置所に搬送されます。前者の場合はそのまま通夜となるのが一般的ですが、後者の場合は、斎場の予約が取れるまで安置所に保存され、火葬の前日の晩に、葬儀社の施設でそのまま通夜を行う例が多いようです。
そして通夜が明けると葬儀・告別式、さらに初七日の法要まで兼ねる例が多く、その後斎場に向かい火葬、再び葬儀社の施設に戻って精進落としの会食となり、従って個人の霊が自宅に戻れるのは、遺骨になってからという例が多くなってきています。

私の故郷における葬送儀礼の状況

一方、私の故郷においては事情が少し異なります。仮に病院で亡くなったとしても、ほとんどの場合遺体は自宅に搬送され、そのまま通夜となります。尤も、これは戸建ての持ち家が大半であり、また、葬儀場が都市部ほど過密ではないという事情にもよりますが、異なるのはこの後の儀式の順番です。
実は、葬儀の前に出棺し、火葬を済ませてしまうのです。こうした慣習は、かつてはドライアイス等もなく、遺体の腐敗を考慮しての措置だったのが、そのまま慣習として残ったものと思われます。このため、葬儀・告別式の場では、もはや遺体との対面がかなわないこともあり、通夜の翌朝、出棺の前の一定の時間帯に、近隣住民、親しい友人、知人等の区別なく、焼香を受け入れます。火葬の後、葬儀・告別式、初七日の儀式を兼ね、精進落としの会食となる順番は変わりません。

現在も残る相互扶助の慣習

また、私の故郷では、相互扶助の慣習が現在も未だ色濃く残っています。所属する町内会等の住民組織で、前述した通夜の後に焼香を受け入れる時間帯や、香典の金額、さらにはお返し不要の取り決め、等々、様々な相互扶助のルールが制度化され、又、地域の、あるいは親族の長老的な立場の物知りが、遺族に代わって参列者への連絡はもちろん、葬儀の段取り一切を仕切ってくれます。
また、通夜以外の葬送儀式は、さすがに葬儀社等の提供する施設で催すことが多くなってはきていますが、儀礼に必要な葬具も住民組織で共有しており、自宅で執り行う例も少なくはありません。なお、自宅で葬儀を営むスペースが無い場合は、公民館等を活用して、親族や近所の主婦が無償で、参列者に供する料理を調理、または協議のうえ分担して持参してくれます。さらに、老人会等の様々な住民組織を総動員し、葬儀の受付から一定数の供花の手配、弔辞を述べる担当の選任、等々、細部にわたって手配してくれ、居住地の住民組織に加入してさえいれば、誰でも相応の葬祭儀礼を安価に催す事を可能にしています。言うなれば、凡そ現在の葬儀社が果たしている機能のほとんど、あるいはそれ以上の事を無償で代行してくれているのです。

まとめ

こうした地域共同体的なコミュニティー機能を、得難いものと感ずるか、逆に煩わしいと考えるかは、人それぞれと思います。
また、葬送業者の手による一般的な葬送儀礼については、費用やパッケージ化された葬儀への遺族の疑問もあると聞きます。反面、専門業者のペースで葬送儀礼が執り行われる事から、遺族は悲しみの中で混乱しないで済み、一時とはいえ悲しみを忘れられたり諦めたりでき、有益であるとする見方もあります。
あるいは、自分の死後の事まで、親族や縁者の手を煩わしたくないと考える人や、世間体よりも、自分の価値観に基づく自分らしい葬儀で見送られたいといった、本人の生前の意思もあるでしょう。
いずれにしろ、葬儀や相続は、誰にでも必ず訪れます。死や葬儀の問題をタブー視せず、生前に自身の意思をしっかりと関係者に伝えておく事が、最も重要ではないでしょうか。

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