般若心経の「空即是色」について考える

般若心経の「空即是色」について考える

わたしと般若心経との出会いは偶然だった

 みなさん、こんにちは。たろうです。今日はたろうが日々読誦(どくじゅ)している般若心経についてお話ししたいと思います。わたしたちの世代になると、時に信仰についても考えますよね。
 わたしの父は次男で、自分で建てた家でわたしたちを育てていたので、家には仏壇がありませんでした。仏壇は父の兄である叔父の家である本家にあったからです。なのでたろうは非常に無宗教に近い状態で育ちました。家の座敷には神棚がありましたが、家にお寺さんが来たりすることもなく、親戚のお葬式でお経に接するくらいでした。子供だったので法事にはあまり呼ばれず、葬式にしても、田舎だったので大勢が参加するのでお寺さんのお経の解説を聞く機会もなく大学生になって上京しました。
 そんなたろうが35歳の頃でした。きっと心にも迷うことがあったのかもしれませんが、それはさて置き、知人の女性が浅草寺に行ったことがないので案内して欲しいとたろうに言ったのです。たろうは大学生の時に浅草でアルバイトしていたくらいなので浅草寺には詳しかったのです。ですので気軽な気持ちで受けました。
 その知人女性と一緒に浅草寺に行ってみると、浅草寺に「観音経読経会」と貼り出されていました。同伴の女性と興味半分で参加することにして、売店で「観音経」のお経本を購入しました。そして読経会参加。
 「観音経」の巻末に載っていたのが「般若心経」で、般若心経も読誦しました。その時に有名な「色即是空、空即是色」の箇所が耳について、「あれ、これなんか聞いたことあるような? 引っかかるような?」と気になってしまいました。
 それからです、たろうが般若心経を毎日読誦するようになったのは。

仏教の無常観の究極だが「虚無ではない」

 それで、わたしは何か新しいことを始めるときは必ずと言っていいほど本を取り寄せて勉強しないと気が済まないタイプなのですが、般若心経の読誦をしながらも、ノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ法王の「般若心経入門」を取り寄せて勉強しました。
 やはり般若心経の肝になるのが「色即是空、空即是色」のところだったとわかりました。たろうはおそらくこれをどこかで聞いていたので、浅草寺の読経会で耳に引っ掛かったのだと思います。
 般若心経は短いお経ですが、仏教の真髄が込められた至宝の経典とも言われています。そしてたろうがそれ以来15年間読誦し続けて来れたのは、きっとこのお経が短いから、という理由もあると思います(笑)
 ダライ・ラマ法王の解説を参考にお話しすると、「色即是空、空即是色」とは、すべての現象には自力で存在する力がなく、他人に認められることによってしか存在することができない。ということはつまり、究極の存在はありえない、と「一切は虚しい」、「一切は無常である」ということになります。
 するとどうでしょう? 何もかもが虚無で空虚なら、結局何を努力して向上させてもまるで空虚じゃないか、という虚無感におちいってしまいます。
 でもこれはまちがいなんです。次の章で説明いたします。

「色即是空」と「空即是色」は常にセットで

 「色」とはこの世の中のすべての現象で、それは「空」(実態がない)ものである、というのがこのお経の根幹です。すべての現象は起こっては消え、消えてはまた起こる無常に他なりません。
 「色即是空」だけ唱えていると「この世の中の一切の現象は空で実態がない」で終わってしまうかもしれません。そんな時はすぐ次に来る「空即是色」にも着目してみてください。「空(実態がないもの)はすなわちすべての現象である」と解かれています。つまり、実態がないもので構成されたこの世の中は、実は「ありえないくらいのバランスで成り立つありがたい世界」なのだと言えないでしょうか? そう思うと世の中に対してありがたい気持ちも生まれてきますし、理屈を重視する仏教の教えを信じてきて良かったと思うのです。
 ブログでまとめ切れるようなテーマでもないので、興味をお持ちの方はダライ・ラマ法王の著書を読んでみてくださいね。

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