ミニ自給自足の小さな一歩、お手製ミトン

ミニ自給自足の小さな一歩、お手製ミトン

自給自足ライフの小さな小さな始まり

50代に突入したばかりの頃は、定年退職後の生活のビジョンの設計図は補助線さえ引くことが出来ませんでした。只、定年退職後の生活についてあれこれ書かれた記事等はインターネットの中で幾つか拾い読みをして見たりイメージを掴もうとしておりました。
 ところが、55歳を過ぎた頃から職場内の人間関係や担当する領域が変わりプレッシャーを感じることが多くなりました。今の能力以上のことを求められているストレスに段々耐え切れなくなり、身体が不調を来たしてしまったのです。医療機関に通い、元通りに回復しようと努力しましたが、そう簡単ではありませんでした。精神の疲れや気鬱からくる身体の不調は長引き、職場に迷惑がかかると思い退職を決めました。仕事自体は大変やりがいのあるものでしたので、退職することはかなり悩みました。また、その後の求職活動中に面接さえも断られる経験を積む中で退職が早まった決断だったのではないかと後悔することがしきりとありました。
 そんな失意の中で季節は秋か冬へ移り変わりました。体調回復も半ばで求職活動もままならない中途半端な状態が続き、無為に過ぎていく生活に焦りを覚えていきました。なにかしたい、なにかしなければならないという居ても立っても居られない想いです。一方では、足掻いて色々な扉を叩き続けているけれども今は扉は開かない、時間が必要なのかもしれないと冷静に見極めようとする己もいました。雪が舞い落ちる頃には、自分の中の焦りを宥められるようになりました。焦りが鎮まると、やりたい事がぽかっと浮かび上がりました。編み物と読書と友達とおしゃべりや温泉巡りにも行こうと思い始めました。今思えば、心身はまだ休養が必要で仕事をする時節ではないと告げていたのでしょう。降り積もる雪の重さと凍える寒さが浮ついたさざ波を沈め、何処か物足らなさを感じつつゆっくりと職場や仕事中心の生活から離れ、別な何かを探し始めました。
 幸いなことに、私にはお手本がいました。彼女は私の友人で義両親を見送り、夫と二人暮らしで先祖伝来の田畑を耕作しながら柴犬と二匹の猫と暮らしていました。折々の野菜を頂き、共に暮らす犬や猫の話を止めどなく聞き入ったものでした。友人のご子息は各々に家庭を持ち、郷里に帰らぬことが決定的になった時はかなりの葛藤があったと聞きましたが、今となっては諦めて夫婦水入らずの生活を楽しんでいます。家の前の畑で大豆を作り味噌屋に持参して自家用味噌を拵えてもらったり、小豆を作り自家製のお汁粉を拵えたり、自家製のさつま芋で作ったスイートポテトなど数々の自家製をご馳走になりました。どれもが、味濃く美味しく頂くことが出来ました。出来る範囲の自給自足の生活を友人夫婦は目指しているようでした。無農薬で作り、化学肥料も使用しないから安心して食べられると友人はお気に入りのキジトラ猫を抱えつつ笑って言いました。
 そんな友人の自給自足生活に憧れを抱きつつ、今の自分でも可能なことを再開しました。それは、編み物でした。次女が山梨の大学生だった頃、お守り代わりと思って手製の靴下を綿糸で編んで贈ったことが始まりでした。1足しか贈りませんでしたが、卒業後も使用していたところを見ると何かしら通じるものがあったのでしょう。次女に送る前に自分と長女と母の分を編み、三人の友人にも1足ずつ贈った後、熱が冷めたように編んではいませんでした。主人の靴下も編んではいないし、もう1足ずつ子ども達と母に編んであげようと思い立ちました。それから、三週間ぐらい掛かってデザインは同じで配色の異なる3人分の綿靴下を編み上げました。ブランクがあったので、本を参考に編み方を間違えれば解きつつと容易に進めませんでしたが、物を作り上げる充実感は最高で何物にも代えがたいものでした。靴下3足仕上げの勢いのまま、主人の帽子とミトンを仕上げました。主人は手製の品を微妙な顔で眺めていましたが、屋根の雪下ろしの時には丁度具合が良いと言ってくれました。ミトンの次に挑戦したのは五本指の手袋でした。暖かいけれども、人様に贈るほどの完成度ではなく自分用にしました。この手袋を見つけた母が自分にも何か作ってほしいと強請るので、余り毛糸でハンドウォーマーを編みました。急いで仕上げたので形が良くないと不満を口にしていましたが、後日寝室で読書をする時手元が暖かいので重宝しているという言葉を貰いました。このような言葉は、身内といえども大変嬉しいものです。
 このように私の小さな小さな自給自足ライフは、体調不良から生活を変える必要が生じ、友人の暮らしをヒントにして始まりました。

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