【脳梗塞】究極の目標は「当たり前の生活」。前田流ガチリハビリ

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【脳梗塞】究極の目標は「当たり前の生活」。前田流ガチリハビリ

経験者が語る。ストレスフリーな生活こそ脳梗塞の一番の予防法

私事ながら2020年を迎えた直後、
1月16日にまたもや脳梗塞を再燃させました。

今なお左半身が後遺症で麻痺したままです。

しかし、複雑な成育歴&生活歴を負った私には。

保証人や医療行為に対する同意者が見つからないため、
入院加療も叶いません。

現在は自宅で訪問医療専門の医師に往診頂いて療養中です。

思い起こせば最初に脳梗塞で倒れたのが四十五歳の8月25日。

ちょうど翌日が元夫との離婚調停の期日で、
入院中の私は当然欠席。

ところが。
実は元夫のほうもまさかの「(家裁に)行くのがしんどい」。
そんな理由で欠席していたとか(笑…えない)。

言うまでもなく調停は不成立。

すったもんだの末、その一年後私は元夫の提訴に踏み切りました。

…何だかどうでもいい話になってる、脱線しまくり。

とにかく…四十五歳の脳梗塞発症から。
私は繰り返し症状を再燃、悪化させています。

固より私には難治性てんかんの持病があります。

よくお年寄りが脳梗塞発症をきっかけに、
てんかんを起こしがちになり、
結果的に認知症が進んだ…みたいな話を見聞きします。

てんかんと脳梗塞は親和性が高いらしく、
ストレスが重なると、より発症&再燃のリスクが高まります。

私の場合は逆パターン。
生まれつきの障害としてのてんかんがストレッサーとなって、
四十五歳という極めて早発の脳梗塞を誘引した、
というケースなわけですが。

…決してこれはてんかん持ちの私に限りません。

悩みや困り事を抱えてもどこにも繋がれない状況、
社会的孤立をはじめ。
ストレスフルな日々は人間の心身を蝕む最大の要因。

確かにこのご時世、真に想いのままに生きられる人など、
およそ存在はしないでしょう。

ただ、少しでもストレスを減らすべく、
毎日を心して過ごすことは可能かと思います。

脳梗塞はじめ生活習慣病を予防するには、
規則正しい生活やバランスのとれた食事もさることながら。

日々心豊かに自分らしくゆったりと過ごすこと。
ストレスの少ない生活をイメージすること。
…これらが何より重要なのではないかと「経験者は語る」。

実際、ここ数年に亘り脳梗塞と向き合っている前田は…
脳梗塞の予防のための「秘訣」として、
まず「ストレスフリーな暮らし」を提言したいと思います。

リハビリの目標に自身の人生観が反映される

ともあれ。
脳梗塞の症状が出て約半月。

急性期は脱したものの、毎日血圧が高くてふらついています。

特に「下」が140台なので。※これって普通「上」じゃないの?
もう本当に眩暈がひどくて気持ち悪くて。

何もできない自分を不本意に思いながらも…
現在の私は一日の半分以上の時間、
頭痛と眩暈のためベッドに横にならざるを得ません。

訪問医療の一環として、健康保険適応の範疇で、
作業療法士の先生が週一回拙宅にリハビリにお見えになります。

車椅子を的確に駆動する、室内で安全に動作する。
服の脱ぎ着をし、箸で食事をする…etc.
いわゆるイメージとしての「リハビリっぽいこと」は、
医療保険の範囲で充分できています。

ほか、自費扱いにはなってしまいますが、
言語聴覚士の先生やボイストレーナーによる、
発声などの訓練も受けています。

私の場合、現状は障害の支援制度のほうが、
介護保険のそれより内容的にずっと充実していることもあって、
当面は介護認定を受ける想定はありません。

というか、自分でどうにかできる間は。

おとなたる自分の責任として、自身の暮らしはどうにかする。
自分でがんばれることはがんばる。
…がモットーの私なので。

例え左半身が麻痺してしまっても。

右手だけで出来ることはないか。
そう日々試行錯誤を重ねつつ、
身体が自由にならないこの状況さえも楽しもうと決めています。

前田のリハビリ観「病気であっても自宅で当たり前に生活する」

私、前田が考える「究極のリハビリ」とは。
あくまで住み慣れた自宅でひとりで生活し続けることです。

…ネットスーパーに宅配に通販。
仕事はSkypeとチャットツールを駆使してリモートワーク。
日々の掃除はルンバ、洗濯は全自動洗濯機。

身体なんて利かなくても。
ドラえもんの四次元ポケットから出てきたような…
便利なツールがもはや沢山登場、現存しています。

完璧には程遠いとしても。
道具を駆使し、システムを活用することで…ある程度の暮らしは、
どうにか賄える現代社会に私はありがとうと言いたい。

自分の体が動かせないのなら、
その部分だけは道具やシステムで補装する発想です。
…車椅子は私にとっての「補装具」ですが、
まさに歩けない私にとっての車椅子みたいに、
できない部分だけを補う。自分に残っている力は温存する。

そのうえで極力「普通の生活」を続ける。
人間らしく生きる。

ここまで考えてみると…
病気になってから以降のほうがより「自分の人生観」が、
日常のあれこれに反映されてくるみたい。

かつて最初の脳梗塞発症で入院した際。
病棟には社会復帰を目標に、
ものすごくがんばっている人も多くいた反面…

いっぽうで。
症状的には軽度で充分に回復の見込みがあるにも拘らず。

自分の運命を呪って暴言ばかり吐く患者や、
絶望して完全に投げやりな態度になっている人も、
決して少なくはありませんでした。

病気という挫折する経験の淵に立たされる場面でこそ、
人間としての本質が如実に表れます。

だからこそ…健康な時から心して自分と向き合い、
よりよく後悔なく生きる姿勢が問われてくるんだな。

今さらながら私は気づかされました。

そして。この事実は…現時点での生き方が、
この先の人生や、終焉の瞬間に反映してくるであろうことをも、
示唆しているかと私は考えています。

目指すべくは「普通の暮らし」。前田が行なうリハビリの実際

ミーハーだと笑われそうですが。

今回に限らず、脳梗塞になって(症状を再燃させて)。
私が一番に取り組むのは「お化粧の練習」です。

その話を私がすると大抵の方は一笑に付し、
オマエ馬鹿か?みたいな顔もされる場面も多いのですが…

化粧はおとなの女の嗜みです。

逆に言えば、
身なりが気にならなくなって…どうなってもいいや。

一旦そうなってしまったら、
女性としてイッキに心が老化してしまうことを…
周りの女性たちから私は学んできました。

見落とされがちな部分ですが、女はいつまでも女であるべきです。
心が衰えば、自ずと身体も衰えます。

本当です。

一事は万事です。
一つが緩くなって乱れたら、全体が崩れてしまいがちなもの。

女性であっても、麻痺のある患者さんは化粧なんて後回し。
そうなりがちですが…

心を保つことがこの先の生活の質をも保つための秘訣だからこそ。

現在、私はリハビリとしても、
自分が女性であることを忘れないためにも…

利かない手で一生懸命メイクをし、
片手だけではつけるのが本当に難しいつけまつげを…
つける練習を怠りません。

プロのモデルを務めている友人が「つけまつげを安全且つ、
うまくつけるには…ピンセットではなく綿棒がいいよ。
使用後は捨てられるから清潔だし」と教えてくれました。

試してみると確かにいい感じです。

ウィッグをかぶる際にも。

ずれずに快適な位置のままにかつらを保つ、
便利なヘアバンドがamazonほかで販売されていました。

ビロード製の鉢巻みたいな構造ですが。
頭に巻いてからウイッグを被ると、なぜかずれません。
その状態のまま「車椅子暴走族」をやっても大丈夫。

ウィッグがずれないということは、
頭痛の軽減に繋がります、ここ重要。

療養中でもきちんと見た目から整えたいものです。
脱毛症の私にとって、ウィッグをかぶることは整容上外せないポイント。
だからこそ日々ストレスフリーで行きたいものです。

ちなみに。
ウィッグについては、医療用かつらメーカーのモデルを務めたり、
モニターを引き受けることで市価の半分以下の廉価でゲット。

モデルの場合はそのまま、
使用したウィッグを戴く場合もあります。

ウィッグユーザーであることや、
自身が病気であることを広く公表する必要があるため、
誰にでもお勧めできるとはさすがに思っていないのですが…

がんに限らず病気療養中はとにかくお金がかかります。
そんな中、オーダーすれば数十万の費用をも要するウィッグは、
いざ購入となれば相当大変でしょう。

経済的に余裕を持たせる工夫は大切ですし、
個人的には日替わりでいろんな髪形を試せるので。

「ヅラ暮らし」もやってみればとにかく楽しいです。

とにかく、社会に繋がって生きるために。
病気療養中の整容はつい疎かになりがちではあるけれども、
元気が出ない時だからこそ気持ちを奮い立たせなくっちゃ!

メイクに勝負服に。自分を奮い立たせることがリハビリの本懐

女性にとって、メイクは嗜みです。

療養中のこの時期にこそ、元気になった時のために。

普段は忙しさにかまけて練習できていなかった…
流行りのメイク法を動画チェック!&鏡に向かって実践!

殿方であれば…普段同様、髭を剃ったり御髪を整えるほか。
鏡の前で「勝負服」キメ!もお勧めです。

私自身、身体の動かしにくさを実感する日や、
気分の落ち込みを痛感する時は。

ワードローブの中から新しい組み合わせを考えて、
よく「ひとりファッションショー」に勤しんでいます。

男性は特にいつも同じようなコーディネイトになりがちだから。

時間をふんだんに使える療養期間は…発想の逆転!
こういう機会を活かしつつ、姿見の前に立って…
普段着たことのないようなお洋服を試してみればいいのです。

この頃はファストファッションであっても、
素敵なお洋服がいっぱい販売されています。

安いお洋服なら仮に失敗しても痛くないですよね。

お洒落なシニア男性こそ、
赤やピンクというお色も着こなせると聞きます。

きっと…ロマンスグレーやシルバーグレーの髪に、
暖色は顔色をも映えさせて、よりダンディに魅せるのでしょう。

コーディネートだって。
・服の組み合わせを考える
・パーソナルカラーを考えつつ他人の意見も聞く
・実際に自力で服を着る
・鏡の前で立ってみる…etc.

リハビリに必要な要素がいっぱい含まれています。

作業療法士といざ運動療法!というのもアリです。

ただ、実際の生活を鑑みる時、日常生活の先にある嗜みのほうが…
より自身を回復させる糸口になるように実感します。

不思議と「マスト」だといわれると、
無意識に人間は圧を感じるのか、与えられた課題にしかし…
意外とメニューがこなせず身にもつきにくいもの。

それに。
限られたリハビリ室の訓練だけではなかなか…
心や身体は理想に追いついてはくれません。

リハビリは一回数十分のミッションです。
対して…実際の生活は墓で安眠するまでエンドレスです。

だからこそ日常の一つひとつを当たり前に向き合いつつ、
楽しめる方法で課題としてクリアしていけることが、
私は一番のリハビリかな、そう考えています。

自分を信じて。時間をかけつつ日々家事も試す

そんな私だから。
ヘルパーさんのお力を借りたり、
宅配弁当をお願いする選択もありましたが。

炊事洗濯、掃除も工夫して自分でがんばっています。
左半身が麻痺していても、右手一本でも大丈夫。
元から片手という人もこの世には存在する以上…
やり方次第できっとどうにかなります。

大丈夫。
そう強く信じておくことが前提です!Gonna be just fine♡♡

節分ということで、
今回、右手だけで巻いた私の恵方巻です。

百均で巻き寿司用の型抜きが売ってあったので、
それを買って巻いてみました。

しばらく前に話題になった「おにぎらず」の巻き寿司版。

巧くないのはあくまで右手だけで巻いているから。

さすがに巻き寿司ばかり何本もは食べられないので、
今回は本数限定(笑)ですが。

イッキに十本くらい巻いたら…
きっとうまく巻けそうな手応えを感じました。

結果的に。
病前、巻き簾で巻いたのと大して完成度は変わんないか…
と思います。

買い物も基本的には車椅子を右手だけで駆動、
近くのスーパーで自分で見切品を吟味?して、
購入しています。

単純に、
車椅子を右手だけで動かすのは相当の力が必要で。
スーパーへの往復だけでも…ものすごく時間を要し。

さらには。脳梗塞で判断力が一気に落ちた私は、
「買い物」という行為自体がスムーズにできなくなったので。

徒歩5分の距離にあるスーパーに行って帰ってくるだけで、
現状三時間以上を必要とする感じです。

それでも。

――車椅子を自走する、
スーパーで品物をセレクトする、レジに並んでお金を支払う。
持参したマイバッグにバランスよく詰める。

買い物を実行&遂行する過程には、
これまた多くのリハビリ的要素が含まれています。
作業療法士に組んで戴いたリハビリメニュー以上に、
実生活により密着した効果が期待できるんじゃないかしら。

決して脳梗塞云々ということだけではなくて…
少なくとも自分の力でどうにか賄える間は。
自身の日々の糧程度は…今在る能力を温存させ続けよう。

自力で買い物くらい行こう、三時間かかってもいいじゃん。
そう決めました。

究極のリハビリとは当たり前であること、自分であり続けること

脳梗塞のリハビリに限らないことでしょうが。

意図的に奮い立たせないと、
療養中はなかなか気分が上がらないもの。

だから。
例え病気だといっても余程気分が悪くない以上。

多少の時間を要しても、
自力で着替えてメイクしてウィッグも着けて。
車椅子に移乗、きちんと座った状態で。

私は極力「当たり前に」過ごすよう意識しています。

たまたま完全バリアフリー仕様の自宅に住んでいる私だから。

明るくて比較的室温の高い日中に入浴する、
気分が悪い時には無理しない、浴槽に滑り止めを敷くなど…
入浴もひとりで気を付けながら取り組んでいます。

女性たるもの。ヘルパーさんや看護師さんであっても、
むやみやたらと自分の肌を他人に晒さない。

そう意識するだけでも自分を保つことは可能なのです。

私にも排泄や整容、入浴など…
いつの日か自分の力ではこなせなくなる時が来るでしょう。

ただ、それまでは基本に立ち返り、
恥ずかしいと思う意識も自分のなかに保ってこそ、
自分自身をも保てるんじゃないかと私は考えるのです。

その辺りがもはや「どうでもよくなったら」。
人間は本当に老け込んでしまいます。

正しい意味合いで女は「女」であること、
男は「男」であること。
人間としておとなとして自分のことは自ら処理したいと願うこと。

リハビリの根底に一番据えておくべきは、
できることは自分でこなすという強い想いと、
あくまで「普通の生活をするんだ」という視点です。

私は今、確かに脳梗塞の症状が強く出ています。
左半身の自由が利かず、思うように動くことができません。

ただ。
前田穂花は「脳梗塞(=病気、障害者…etc.)」なのではなく。
前田穂花はあくまで「前田穂花」です。

見落としがちですが、
ここは人生を考える上で本当に大切な部分かと思います。

病気になろうと年を取ろうと。
大切な自分の本質はしかしいつまでも変わりません。

自分は事切れる瞬間まで「自分」という人間です。
私は最期まで私なんだから。

そう強く意識しつつ、
今日も明日も…私にとっての当たり前な生活を、
一日も永く自力で維持できるように努めたいと思います。

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