人生の楽園を求めて 癒しと学びの空間 三丘庵山荘

人生の楽園を求めて 癒しと学びの空間 三丘庵山荘

プロローグ

小学校時代、蝶の採集に夢中になり、理学博士を夢見ていた。
仁徳天皇陵の側の小さな塚に古いクヌギの木があり、そこから滲み出る樹液にカブト虫、クワガタ虫、タテハ蝶などが群がっていた。自分だけの秘密の場所だった。
小6の時、近所の高校生に連れられて、初めて地元の山(金剛山)に登った。
いくつも山を越え、蝶を採集しながらなので千早村に達するのがやっとで、頂上は踏めなかった。頂上に登れなかったことが、子供心にとても残念だった。
以来、従兄弟や友達を誘って、何度も頂上を目指した。麓でテント泊したこともあった。
55年以上前の金剛山は、水清く緑溢れる楽園だった。今は見る影もないが。
中学時代はスポーツ少年団に入り、先生に引率されて麓の筏場から大台ヶ原へ登ったことが印象深い。

高校1年になると1歳歳上の叔父(現モンベル会長)に誘われて、上高地〜槍ヶ岳〜雲の平〜薬師岳〜五色ヶ原〜黒四ダムの大縦走をテント泊でやった。辛かったが、益々登山が好きになった。
高校2年には、友人と弟を伴って同じコースを三俣蓮華岳まで歩いたが、嵐に遭遇して湯股から大町へエスケープした。

大学に入ると、迷わず山岳同好会に入り、ロッククライミングや雪山も経験したが、学業との両立に悩み、結局一年でクラブ活動としての山岳登山は辞めた。あとは気ままに好きな山をソロで登っていた。

社会人になっても、週末の東京出張などがあると、仕事が終わってから服装を変え、八ヶ岳や金峯山などに登った。
新婚時代には、黒部アルペンルート、栂池、上高地、尾瀬などに妻を案内した。
子供が小学校を卒業するまでは、毎夏家族であちこちにキャンプに行った。数ある会社の保養所も殆ど制覇した。
子供が大きくなってからも、六甲山や八方尾根などに夫婦で出かけた。

単身赴任で宇都宮に住んだ頃は、古賀志山、男体山、日光白根山、赤城山などに登った。
そして、関西と宇都宮を車で往復する際、八ヶ岳山麓を通過するたびに、いつか山荘を持ちたいと夢見ていた。

伸びた定年

宇都宮暮らしは66歳で終わり、年金暮らしに入った。
あれだけ働いたのに受取る年金は予想以上に僅か・・・妻が言う「この年金額ではお小遣いは月2万円が限度ね」 山荘など夢のまた夢ではないか。

そして一年が過ぎようとした頃、元の会社の人事役員から電話があった。「井端さん、兵庫県立大学から求人が来ているんですが、話だけでも聞きに行かれたら如何ですか?」
金欠病の身としては天から降って来た暁光以外の何ものでも無かった。
仕事は、「放射光・スパコン産業利用支援コーディネーター」という仰々しい肩書のアカデミアと産業界を繋ぐ役目らしかった。
採用側に6人ほども県職員や大学教職員が並んでいたが、15分ほどの面接で採用が決まった。週4日勤務、日給月給の臨時職員だが、ペイは悪くなかった。
帰宅して妻に言った。「公的年金と企業年金は全額家計に入れるから、給与は自由にさせてくれないか?」妻に依存は無かった。県のルールでは、最大5年の任期が約束されていた。

いよいよ定年

初めの2年は無我夢中だった。
企業とアカデミアの風土の違い、難しい専門知識、プライドの高い教員との人間関係、独特の人事制度(「職業としての学問」の世界)・・・
ようやく仕事に慣れ、自分なりに新しい企画も創出し、これからと思ったら4年が経過しようとしていた。いよいよ山荘の夢を実現する時来たる。

とは言え、今さら遠く八ヶ岳山麓に移住したり、通ったりするだけの体力・気力が残っていなかった。尚さら経済力など細る一方だ。ならば、どうするか。
実は、以前から気に入っていた場所があった。県下屈指の清流・揖保川の上流、「まほろば温泉」のある宍粟市三方町だ。温泉に隣接して旧町役場を改装した歴史資料館と縄文時代から鎌倉時代までの住居を復元した家原遺跡公園がある。その遺跡を見、歴史資料館を覗くと、この鄙びた山里は、実は縄文の昔から人々が豊かに暮らし続けた人生の楽園だったことがわかる。
春の桜、初夏の石楠花、イワカガミ、夏の緑、秋の紅葉、冬の雪景色・・・日本本来の四季と田舎の原風景が、ここにはある。平日450円で入れる日帰り温泉は、身も心も温まるナトリウム泉だ。

空家探し

少子高齢化の波は、地方都市や田舎ほど顕著に現れる。
宍粟市のみならず兵庫県中部の小都市や町は、こぞって空家バンクを自治体のホームページに掲載している。大抵は都会や近隣に住む相続人が、親の家や土地を持て余して売却や賃貸に出すケースが多い。民間にもそういう仲介を専門にする業者もいるが、物件が安い割に手数料が割高で、売ったり貸りたりする方も、買ったり借りたりする方も損した気分になる。そこで、自治体が無償で斡旋しているという訳だ。

私も20年以上前に民間業者の紹介物件を何軒か見学させて貰ったことがあるが、気に入った物件は1,500万円以上もして、とても手が出なかった。
幾つかの自治体の空家バンクを今回初めて閲覧してみたが、その価格の安さに驚かされた。以前に較べて1/2、1/3の価格だ。これも長引くデフレの影響か。
確かに、歳を取ってから、医療などが充実した都会に移住する者は居ても、わざわざ不便な田舎に移住する者など殆ど居るまい。そんな物好きは、私ぐらいと見える。

しかし幾ら安いからといって、70歳過ぎて古民家など買ったところで、子孫に迷惑をかけるだけだ。ここは身軽な賃貸にすべきだ。そういう観点で探し始めたが、残念ながら賃貸物件は極めて少ない。
そんな空家バンクの物件の中で、家賃3万円以下という私の希望に叶った物件が、たった一つ見つかった。早速、見学を申し込んだ。それが今の「三丘庵山荘」である。
借りるに至った経緯の詳細は、下記URLを参照して頂きたい。
https://note.com/harry46494649/

晴れて山荘の主人となる

賃貸契約は2018年7月に締結した。
一番古い部分は築100年以上の田の字型間取りで、その後増築改築が重ねられて母屋だけで7LDKもある。(離れは大家さんの休憩所として、賃貸には含まれていない)
2つのトイレは、ウオシュレット付きの水洗で、一応灯油ボイラーによる3箇所給湯になっている。囲炉裏と薪ストーブ、大きな食器棚とダイニングテーブル、立派な応接セットも完備だ。これで家賃月2万円、「20 年前と同じ家賃や」と大家さんが笑った。
人が住まなくなると急激に家は痛む。空家にしておくぐらいなら、タダ同然でも住んで貰った方が良いという大家さんの正しい判断だ。

特にここは限界集落。我が山荘を含め、人の住む家は三軒しか無い。都会人には寂し過ぎるかも知れないが、それだけ自然は豊かで静かだ。
自給自足するなら、田畑も自由に使ってくれと言われたが、さすがにズブの素人が今から百姓を始めるのは無謀と思い、丁重にお断りした。近くの産直市場で、新鮮な野菜が信じられないぐらい安く手に入り、幻の宍粟牛や猪や鹿の肉を売る店もある。
その耕作放棄地の一角に、大家さんの所有する罠がある。年に10〜20頭ほど猪が掛かるらしい。私も5頭ほど檻に入っている猪を目撃したことがある。

西日本水害に遭遇

賃貸契約を結んだ最初の週末、喜んで山荘に泊まりに来た。このあと、豪雨禍に遭遇するとは露知らず。

朝6時頃、停電になった。続いて水道が止まった。蝋燭を灯し、鍋に雨水を受けて、とりあえず朝食を済ませた。ガスはプロパンなので、炊事には支障が無かった。
光ケーブルが来ていたが、まだケーブルTVやインターネットの契約をしていなかったので、天気予報がわからない。携帯は圏外だ。

そのうち消防服をまとった下の家の人がやって来て、「土砂崩れで道が通れなくなっている。復旧するまで家で待機していて下さい」とのこと。
遅刻するか休むことになるが、職場への連絡手段が無い。困ったなあ。そんな事を考えていた。
次に、レンジャー部隊のような格好をした警官が、びしょ濡れで訪ねて来た。道路の決壊箇所をロープワークで渡って来たという。「救助が来るまで2、3日頑張って下さい。誰か安否を伝えたい人は居ますか?」と聞かれたので、とりあえず自宅の電話番号を伝えた。後で聞いた話だが、警察からの電話で、妻は大いに動揺したようだ。

また10時頃、市の職員と消防隊員の2人連れが訪ねて来た。山越えで歩いて来たという。同じように「2、3日頑張って下さい」と告げて帰って行った。
その時は、尾根の反対側の集落で死者と行方不明者が出ていたことなど全く知らず、「まあ食料は十分あるし、籠城も仕方あるまい」程度の意識であった。

すると最初に訪ねてくれた隣人が、「あと30分で救助ヘリが来ますから、脱出の準備をして下の広場に集まって下さい」とのこと。慌てて支度をして集合場所に行ったが、風が強くヘリの到着が大幅に遅れるとの話であった。
小さな村の集会所らしき建物で雨を凌いでいたら、遠くでヘリの音が聞こえた。目の前の広場は昔の分校跡で、臨時のヘリポートに打ってつけの広さだったが、豪雨のために泥田のようになっていた。長靴姿の若い隊員が、村人を一人一人背負ってヘリまで運んだ。

隣の集落も含め、避難民は10名程度であったが、一回に3名しか乗れないとのことで、腐女子と子供、老人の順に搬送され、最後に私と消防団員の隣人が乗った。
若い隊員が私を背負うというので、「悪いけど重いよ。一人じゃ無理だと思うよ」と言ったが、「大丈夫!」と自信あり気だった。しかし案の定立ち上がれず、結局2人の隊員の厄介になってヘリまで運んで貰った。

この歳になって初めてヘリに乗った。飛行機とは全く違う乗り心地だ。
飛行機は方向を変える時、左右に大きく傾くのでシートベルトをしていないと大変だが、ヘリは水平を保ったままクル、クルと自在に方向を変えられる。よって、機内にはシートベルトが無い。
ベトナム戦争のヘリのシーンで、誰もシートベルトをせずに乗っていた理由が、ようやくわかった。

山荘の暮らし

これから追々、山荘の暮らしを紹介して行こうと思う。
もうすぐ春。そろそろ庭の福寿草が咲き始める頃だ。そして、桜のシーズンが来る。
春は希望に満ちた季節・・・若者にも、年老いた者にも。

< 続く >

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