柳川に終活絡みの旅行

  柳川に終活絡みの旅行

不思議な再会

小学校の時から高校卒業までいつも一緒だった友人がいます。なかなか忙しくて、気がついたらきちんと話しもしないまま、彼女は長年住み慣れた土地を離れて九州に引っ越してしまいました。

いつもそこにいてくれたので、私は老後、仕事を離れたら毎日でも友人と会えると、簡単に考えていたのです。まさか九州に行ってしまうとは、思いもよらなかったのです。

昨年の暮れに訃報が届きました。母親が亡くなったとの通知です。そこで、私も彼女の住所から、電話番号を知り、母を同年に亡くしたと話しました。

そんな歳になったんだねぇ。まだ自分たちの間では、小学生や中学生の友人昔のまま時が止まっていました。わたしは春に旅行に出る決心をしました。

再会と鰻

コロナウィルスで武漢が封鎖とのニュースが流れてた頃です。
不安な気持ちで、新幹線に乗りました。40年ぶりの再開です。還暦も過ぎて、最後に逢えるチャンスだと感じました。

前回のブログで私は背中を打ちほとんど動けない生活を1年送っていることを書きました。40年振りの再会です。

九州の柳川は画像にある通り、下げもん飾りで有名な観光地です。私はと言えば、昨年の秋から縮緬細工を始めて、下げもんのことはまったく知りませんでした。

私からのメールに下げ飾りに夢中だと、自作の写真が添えてあったのを見て、彼女は驚いたといいます。なんで頭の隅にもなかった下げもんに出会ったのか。

呼ばれたんだと思いました。まだきちんと歩けるか、自信もないのにひとり新幹線に乗ったのです。

楽しいのは母親たちも同じ

駅前のホテルに泊まりながら、食事は毎日一緒、つもる話しを山ほどしました。ともに母を失った悲しみも癒えてゆきます。

鰻を食べていたときに、ふっと互いの親が同席している気がしました。会社も退職して、怪我もして、母を亡くし、人生をまっとうした気がしていたのです。これから先はおまけのようなものだと感じて、終活に入っていたのです。

終活も昨年はブームだったし。

次に逢えるのがいつであろうとも、今回の旅行はまるで、呼び寄せられたような気がしました。母親たちの何よりの供養になったと感じました。お互いひとり娘だったし。

柳川は雛祭りのイヴェントで、街中が下げもんで華やかでした。いつもはもっと賑やからしいのですが、中国やアジアからの観光客がいないので、落ちついて細部まで眺めることができました。材料も、終活目標のひとつ、下げ飾りをたくさん作れるほど仕入れて来ました。

帰りは、気が滅入るような別れではなく、笑いながら手を振れたこと。とりあえず、別れもせずにいなくなった友人への、心配も悲しみもすべてが明るい思い出になりました。

終活はリスタート

ああ、そうだ。旅行に出るまえは、生きてきた証を始末することだと思っていました。

2人で毎日供養と称して美味しいものを囲み、母親を亡くした悲しみも癒されてゆきました。母親ばかりでなく、昨年は多くのしがらみを失いました。

でも、帰って来たら、夫も笑顔で迎えてくれ、翌日届いたお土産は絶品の明太子。旅行の時期は1週間後だったら、ウィルスの危険で身動きが取れなかったと思います。

大切なこと人はここ一番のときに力になってくれますね。まだ終活ゴールは随分先です。できることを、山ほど締め括りましょう。

たくさんのエネルギーが

宗教とか、霊的な体験も信じない。友人も私もいつも言っていたけど、今回ばかりはひしひしと感じましたね。

きっとまた会える気がする。終活は、締め括ったと自分が思えるまでが終活ですね。終活とは生きることに他ならない。

新型コロナウィルスをしっかりとやり過ごすことが今は大切なことです。引きこもりの今がチャンス。普段出来ないことの始末をしましょう。

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