カタルシスの役割を果たす涙。つらい時は泣こう【コロナ疲れ対策】

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カタルシスの役割を果たす涙。つらい時は泣こう【コロナ疲れ対策】

子どもの時から泣くなと言われ続けてきた私たち

私たちは幼い時から「泣くな」。
泣く奴は弱いんだ、そう躾けられました。

立派な大人になる事とは即ち「他人に迷惑をかけない」こと。

家庭でも学校でも…バイト先でも就職した先でも、
私たちは疑うことすら認められず、
まるで呪いのように刷り込まれて生きてきました。

OVER50の私たちミドルシニアは特に。
「泣いてはいけない、迷惑をかけてはいけない、
弱くてはならない、常に強くなければならない…」。

ひたすら年長者からインプリンティングされた世代です。

しかし。
今般のコロナパニックをきっかけに、私は…
これまでの社会の価値観が百八十度変わりそうな予感がします。

「弱音を吐くことは人間として負けなんだ」。
そう教育され続けた私たちシニア世代が、
理解は困難だとしても新たな価値観と共存できるように。

そして。
本当に必要な場面では涙を流して自身を癒し、
場合によっては恐れずに他者からの助けを求められるように。

アフターコロナの新しい社会が希望に満ちているよう祈念しつつ。

もうすぐ五十二回目の誕生日!を迎える私・前田が。

涙の持つ「癒し」の効能や、
安心して弱音を吐ける、泣くことが許されるような…
寛容な「真に成熟した社会」の在りようについて。

皆様と一緒に考えていきたいと思います。

大人になっても泣いた「母」アグネス・チャン

ここまでライティングしてみて。

私はふと、自身がライターになったばかりの頃に、
小学館から発売されたアグネス・チャン氏の著作、
「大人だって泣いていい」という本を思い出しました。

現在は廃刊となっていますが。
インパクトのあるタイトルだったので記憶に残っています。

内容的には1995年の阪神大震災の被害が大きかった地域で、
当時二児の母だったアグネスがコンサートを計画し、
成功させる…という主題のもと。

子どもの頃のいじめの記憶、アイドル時代のつらかったこと。
さらには結婚後、第一子が生まれたのちに。
子連れで仕事場に行って…云々の、
いわゆる「アグネス論争」等がまとめられていたかと思います。

アグネスは満一歳だった長男の和平さんを抱いて、
強く思ったんだそうです。
「大人だって…泣いていい」。

当時はまだ二十代と若く、
結婚してはいたものの子はなかった私は。※今もありませんが

アグネスの言葉に「金持ちの戯言じゃん」。
正直、そうとしか思えない私でした。

別に数年間、子育てに専念したところで。
私と違い、アグネスは「ごはんの心配」などない方ですし。

…自宅で育児だけに振り回されるのが嫌なら保育園でも、
ベビーシッターでも何でも使えるじゃん。

朝は戦争の如くドタバタと託児所に我が子を送り、
後ろ髪を引かれるような思いで職場に駆け込み。
定時が来れば「これだから子持ちは嫌なのよね…」みたいな、
同僚の視線を無視してお迎えに走り。

子がちょっとでも熱を出せば保育園からオフィスに電話が来る…

――そんな自分の事は二の次、三の次の、
数多の「働くお母さん」方にお詫びしろ!アグネス!

”ヲタ”…もとい。
”大きいお友達”の悪い琴線に触れた、
例の「二次元ロリ」狩り事件や。

日本○ニセフ協会との絡みもあって、今やネット界では、
何かにつけヘイトの対象にされがちなアグネスですが。

現在、5ちゃんその他で吠えているネットユーザーを、
超えるほどの激しいヘイトぶり。
自身のリアルな毎日に余裕がないのでなおさら苛立ちつつ、
アグネスの(浮世離れした)言動を捉える二十代の私でした。

アグネスの主張はわからなくもないのですが。
1990年代のオフィスなんてどこも「デスクで喫煙可」。
子どもは喘息になりそうなほど劣悪な環境でしたし。

だいたい…アグネスの仕事場たる収録スタジオも含め。
(いろんな意味合いで)子どもを歓迎できるほどの、
キャパがある職場なんて…
果たして本当にこの世に存在するのでしょうか。

自身がオバサンになった今も、
非現実的な議論よりも実現可能な福祉政策を。

そう望む気持ちは現在も変わらない私です。

ただ「大人だって泣いてもいいんだ」。
その部分だけは私自身年齢を重ね、沢山たくさん泣き続けて…

五十代を迎えた今、私はアグネスに同意します。

本当の強さとは泣かないことではなく「助けて」と叫べる勇気

アグネスが「希望のコンサート」に取り組む、
きっかけとなった1995年の阪神淡路大震災以降。
我が国、そして世界のあちこちで、
未曽有の震災や自然災害が起きました。

被害に遭った人々の不安をさらに煽るかのように、
多くの生命が犠牲となるテロや凶悪な犯罪も相次ぎました。

また。世界中で政治的宗教的な対立が続き、
今なお解決の糸口が見つからない問題が山積しています。

不確かな社会情勢を裏付けるかのように、
経済的にも不安定な状況が続いています。

現在、日本の子どもの六人にひとりは、
一日三回の食事が保障されていないなど。
かつて「一億総中流」とされた昭和の頃に対し、
平成以降、私たちの生活はどんどん貧しくなっています。

行き過ぎた高学歴化と非正規労働者数の著しい増加によって、
正社員という名の「椅子」の数自体激減。
努力してもなかなか安定した職には就けない昨今。

恋愛や結婚、その先にある出産や育児など…
昭和では当たり前の権利だった「普通の幸せ」が。

もはや「普通」でなく、一部の恵まれた「勝ち組」だけに、
許される「特権」と成り変わりました。

生きる上での新たな力「受援力」を考える

そんな不確かな社会情勢を背景に、
2010年頃から新たな能力の必要性が叫ばれ始めました。
適切な支援を求められる勇気「受援力」です。

今は全てが「自己責任」だとされる社会です。

――大した学歴を得られないのも、職に就けないのも。
恋人がいないのも結婚できないのも。
他人に可愛がられないことも、いじめられ虐待されることも。
容姿が「ブサい」のも…全てオマエの「努力が足りない」せい。

つまりはオマエの自己責任。

こんなふうに…何でも自己責任と見做されて、
切り捨てられてしまいがちな世の中だからこそ。

例え恥ずかしくても怖くても…口惜しくても。
必要になったら「助けて!」そう勇気を以て叫べる力。

言葉で言わなければ理解されません。
声を挙げなければ気づかれません。

生きる上での困難に直面することは往々にして起こり得ます。
行き詰まった時、ただ座して死を待つ。
そんなのはカッコよくも強くもない、単なる犬死に。

声を挙げて助けを求めるには強い勇気が必要です。

他人の助けが必要な自分、
つまり(今は)弱い自分の真実を直視する事は、そのじつ…
とても苦しい作業であり(本当の意味で)強い心を要します。

私が申し上げるまでもなく。
生きることは死ぬことよりずっとつらいのです。

自分の弱さを認め、他人の助けを求めることは。
我慢すると称してひっそり息絶えることより、
遥かに勇気を必要とするのです。

だからこそ。
支援を必要とする場面において「助けて」といえる能力、
受援力は今後さらに人間の持つ力として評価されるべきであり。

勇気を奮い立たせて「助けて!」と声を挙げた人たちが、
決してバカにされない社会。

そしてその勇気が、しかし決して無駄にされたりはしない…
寛容で受容力の高い世の中の実現を私は強く希いたいのです。

真に風通しのよい世の中とは「弱さ」を晒せ出せる社会

受援力と併せて。
先のアグネスではありませんが「泣いてもいい」社会。
安心して弱音を吐ける社会の在りようも私は強く願います。

つらいと安心して口に出来る社会は、
それだけ風通しがよく、誰しも生き易い場所だ。
そう思うからです。

わが国では、毎年二万人から三万人の方が、
日々、自らの手で大切な生命を絶たれています。

自殺未遂件数を含めれば、
日本の本当に膨大な数の人が、生きることに疲弊し切っています。

人生においてがんばること、泣かないこと、
迷惑をかけないこと、我慢すること…
確かに人として立派な心がけです。

しかしながら、行き過ぎた辛抱と自律とが、
人生を詰ませてしまい、絶望に追いやるだけなんだとすれば…
何の意味もないでしょう、むしろ本末転倒、悪影響です。

普段はがんばる、自分で出来ることは自分で努力する。
そのうえで。

本当に困ってしまったら、自力ではどうしようもならなくなる前に…
自ら「助けて」と声を挙げられる勇気を持つ。

特に今は「普段」ではありません。
コロナパニックという「緊急事態」にあります。

つらい時はつらいといえるのも生きるための力であり勇気です。

ましてや…つらくて助けを求めている人、
つらくて泣いている人に対して、ひどい言動で貶し中傷し、
気分で攻撃するなど、人間としてまさしく「愚の骨頂」です。

時代は令和となりました。
「全ては根性で解決する」「泣くのは弱い奴」
「落ちこぼれたのはそいつの根性や努力が足りないから」。

そんな前時代的なものの見方を改めて。

様々な価値観が認められ、誰もが生き易い社会の構築という…
観点から「真の」解決策を探る知恵を培いましょう。

泣いてはいけない、他人に迷惑をかけてはいけない…と、
教育された私たちミドルシニア世代から「変わり」ましょう。

つらければ泣いてもいいし、負けたって大丈夫。
がんばれなくなったら勇気を以て「助けて」と言おう。

上の世代である私たちシニアがそう考え行動する癖を養えたなら、
若い世代にとって、どれだけ大きな福音となるでしょう。

どれだけ風通しのいい世の中の実現に繋がるでしょう。

負けたっていいのです。
転んでもまた立ち上がって、
前を向いてしっかり歩き出せばいいのです。

つらさをバネにし、他の人の力を借りて立ち上がった時。
あなたが、そして私が別の誰かに手を差し出し、
支えてあげる側に立てばそれでいいのです。

医学的にも効果が認められた「涙活」のススメ

泣くこと、涙を流す行為には。
心身に蓄積したストレスを外に出し、
鬱々とした感情を回復させる効果があることが、
医学的にも証明されつつあります。

泣くことはカッコ悪くもなければ、負けたことでもないのです。
ストレスから心身を回復させるための「反応」の一種です。

東邦大学名誉教授でセロトニンDojo代表。
“涙の効能とメカニズム”について研究される神経内科医、
有田 秀穂先生による学説では。

「泣くこと、涙を流す行為によって。
脳内(内側前頭前野)の血流がよくなり、
交感神経から副交感神経へとスピーディに切り替わる。
つまりはスピーディに脳から全身へとリラックスし、
ストレス解消に至る」のだとか。

あるいは。
米の生化学者、ウイリアム・H・フレイⅡ世博士は、
1985年に行なった実験で。

「涙を流す行為はストレス成分を含むホルモンを体外に、
排出する働きを持つ」との結果を導きました。

フレイⅡ世博士による実験と研究結果については。

のちに、東京女子医大教授で日本における内分泌学の大家、
故・出村博先生もご自身の研究と実験を通じて、
新たに立証されていらっしゃいます。

なお、フレイⅡ世博士も、亡くなった出村先生も。

「刻んだ玉葱による刺激などで流れる涙ではなく、
心の動きによる感動の涙や共感の涙のほうが効果が認められる」。
そう発表されていらっしゃる点にも大いに注目です。

「心の動きで流す涙がストレスを解消する」。
この事実を別の視点から発見し、2013年に、
涙活(るいかつ)として提唱した方もいます。

結婚ならぬ「離婚式」プランナーの寺井 弘樹さんです。

夫婦の三組に一組は離婚する現在。※前田自身、カウントに二回「協力」済
きちんとけじめをつけるべく、
今や「離婚式」を挙げるカップルも増えつつあるんだとか。

寺井さんがおっしゃるには。

それまでどんなに揉めていたカップルも。

離婚式で薬指の結婚指輪を外してハンマーで粉砕し、
その様を目の当たりに(元?)夫婦揃って声を挙げて泣いたあとは。

二人とも文字通り「憑き物が落ちた」かのように。
晴れやかな表情を取り戻して、次に切り替えていけるんだとか。

過去…
三度も申し立てた調停ですら話がつかず、全て「不調」に終わり。
7年以上揉めて裁判離婚の法廷で「泣いた」前田、心の声。

(いや…それは離婚式を挙げて泣いたからではなく。
リコンが成立し、晴れて自由の身になれたからでしょ、きっと)

――自身の経験からそう強く実感するのですが(笑…えない)。

ともあれ。ご自身の仕事を通じて、
涙に心をスッキリさせる効果があると気付いた寺井氏は、
2013年に「涙活」を提唱し、公式サイトもオープン。
https://www.ruikatsu.com/

寺井さん曰く、涙の一滴には、
ストレス解消効果が一週間継続するほどのパワーがあるとか。

おうちじかんは感動する映画を観、泣ける曲を聴いて。

「涙活」心の底から涙を流しつつ。
コロナ禍の影響で溜まった悪いものを、
デトックスするのもいい過ごし方だといえそうです。

先にご紹介した東邦大学の有田先生に、
感銘を受けた元高校教諭でスクールカウンセラー、
「なみだ先生」の愛称で知られる“感涙療法士”吉田英史さんは。

ご自身の「泣き言セラピー」において。
「涙を流すことは笑いや睡眠よりも大きな効果を得られる」とし。

よい涙の流し方として。
「寝る前に感動するコンテンツ等で涙を流すことで。
セロトニンの分泌が盛んになり、
さらに睡眠ホルモンと呼ばれるメラトニンが分泌する。
結果的に朝まで良質の睡眠が取れる」そうです。

吉田さんによれば「目が腫れるのは手でこするから」。
上手に泣くコツとしては「夜眠る前に三十分程度、感動の涙を流す、
目をこすらないように気を付けること」が大事だそうです。

コロナ禍を機に安心して泣いていい社会の実現を

…弱音を吐いてはいけない、涙を見せてはならない。
子どもの時からそう信じ込まされて過ごしてきた私たち。

しかし、弱い事や泣くこと、負けることが…
いつ「ダメな事」だと教わったのでしょうか。

果たして、それらは人生において本当に「ダメ」なのでしょうか。

同様に、
強いことや大きい事は本当に正義だといえるのでしょうか。

全ては「思い込み」。
若しくは幼少期からの刷り込みを疑う事なく、
単に盲目的に信じ込んでしまっているにすぎません。

百人の人が居れば、百の正義があります。
それぞれ百の価値観が存在します。

生きることは白と黒では割り切れません。

果てしなくスペクトラム状態なグレーでもあるし、
レインボーカラーどころか本当に様々な「色」がある、
本来、これが私たちの社会のあるべき姿です。

この考えをベースに置いた上で。

いろんな考え方が認められ、自分の意見が堂々と、
自身の言葉で語られる権利が正しく保障された社会。

自分の言葉で述べた意見を、
多数派の考えとは異なるという理由だけで、
決して否定されない社会。

権利保障の担保として、同時に、
他者の意見もきちんと尊重できる人によるコミュニティが存在し。
そのなかに「助けて!」と声を挙げられる状況が維持されること。

助けを求めた人が見殺しにされたり、
バカにされたり辱められない社会が成り立つこと…。

アグネスもびっくり!の単なる理想論かも知れませんが。

コロナパニックの先の未来には、
新しい価値観、新しい人生観や道徳観に基づいた、
誰もが尊重される社会があったらいいな。
…希う私がいます。

そして、誰もが尊重され得る社会の実現の…
前段階として。

つらい時はつらいといえる、泣きたい時には安心して泣ける。
風通しのよい社会の構築が必至だろうと考えるのです。

#自粛警察に、歪んだ正義感の暴走に…
時間潰しにネットを見てみれば。

Twitterのタイムラインを眺めているだけでも、
コロナ騒動によって抑圧された人々の心は荒むばかりに思えます。

「社会が不安定な時には、
人々が協力し同調することが必要な場合がありますが、

同時に、それが過剰な同調になってはいないか、
何かの真実や誰かの尊厳を犠牲にしてはいないか、
ということを気にかける気持ちを…
どこかに持っておくべきだと思います」
手島 将彦(音楽プロデューサー)

手島さんが扱った楽曲のうち、
最近、前田自身が泣けた曲を貼ります、涙活のおともに。

「メーデーメーデー」amazarashi

“メーデーメーデー”とは…

今年は異例のオンライン開催、5月1日の「ガンバロウ!」ではなく。
フランス語のvenez m'aider(助けて)の意、
ここでは無線電話の避難信号を指します。

「己を殺せ 無明の権化 無能クズも仏
世俗共の純粋なるアンチで 近代合理主義のここどん詰まりで」

「テレビの向こうの多数の犠牲者には祈るのに
この電車を停めた自殺者には舌打ちか
溜め息に似た自覚なき悪意が飽和している東京」

「賞金も勲章もない もはや生存競争だ 
なりふり構ってられるか 口を閉ざしてたまるか 
どうか生き残ってくれないか
メーデーメーデーって泣きじゃくる子どもみたいに無邪気な愛で」
(秋田ひろむ“メーデーメーデー”より抜粋)

――世俗共の純粋たるアンチ。
つまり声のデカい他人の意見を自身の正義の如く語る、
薄っぺらい奴。

アンチに消され踏みにじられて疲弊し、
電車に飛び込んで自死を選んだマイノリティ。

テレビの向こうの災害や事故の犠牲者には祈るのに、
電車を停めた自殺者には舌打ちする。
その悪意、その矛盾に気づかない私たち。

荒んで殺伐とした社会でも、
人間としてこの世に生まれた以上なりふり構わず生きなくては。

そう…子どものように素直な純粋な想いで助けを求める強さ。

コロナ禍の影響で、今の私たちはとても疲れています。

しかし、その先に…新たな価値観のもと、
人として尊重され、安心して本音を吐ける世の中、
弱くても生きられる社会が実現しますように。

できることならば。
私たちシニア世代から凝り固まった価値観を変えて。

風通しがよく、正しい意味で自由があって…
個性が認められ、誰もが大切にされる日本を、
次の世代に手渡せますように。

そのためにも、私たち自身が行動をひとつ改め、
これまでの認識をひとつ変えてみましょう。

時代は移ろい、価値観も正義も変わり行くもの。
未曽有のコロナ禍…
つらい時には「大人だって泣いていい」のだから。

前田 穂花

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