人生で起こる全ては「偶然」だから。生きているだけで丸儲け

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人生で起こる全ては「偶然」だから。生きているだけで丸儲け

立てつづけに大病を経験して変化した死生観

四十六歳の8月3日。
予てより子宮頸がんの治療中だった私は…
広汎子宮摘出手術を受け、子宮や卵巣、膣の一部。
周辺の諸々を失いました。

子どもがなかった私は、なるべく内性器を温存すべく、
広汎摘出手術以前に円錐切除術を受けたのですが。
その後、様々な治療を試みるも改善の兆しは見られず。

いよいよどうしようもない状況になってしまい…
やむなく大きい手術に踏み切ったのです。

下腹部の派手な手術痕と引き換えに、
私は女性としてのパーツを全て失いました。

手術を決意する直前、私は元夫との離婚をかけて、
家裁に提訴したところでした。

術後の回復が遅れ、実際の裁判は弁護士を立てて争う形に。

相手のあることなので詳細は割愛しますが、
とにかく心が荒む出来事でした。

離婚成立後も私は心身ともに不調なままでした。

リコン自体はできたものの。
無職だった元夫には多額の負債が残っていました。

彼の負債を(連帯保証人たる元妻の)私は大人の責任として、
債務整理若しくは自己破産する必要に迫られていました。

ある日の深夜、ライティングの仕事をしていた最中に…
私は激しい頭痛とともに、突然意識を失って倒れました。

…私には生まれつき難治性てんかんの持病があります。
強いストレス等でてんかん重積発作を引き起こすと、
脳出血などを起こし、生命の危険に至る場合もあるのです。

数時間後、電話をしても出ないということで。
異変に気づいた友人に発見された時には、
私は完全に意識が無く、瞳孔も開いた状態だったとか。

搬送先の病院でそのまま開頭手術となりました。

僅か10ヶ月足らずの間に二回もの大手術を経験し。
私は「むしろ生きているほうが偶然なのではないか?」と…
考えるようになりました。

併せて。正直…自分の問題とは思えてこなかった「死」も、
以降、私の人生のリアルなテーマの一つになりました。

今思えば妙な話ですが。
「死」というものが他人事でしかなかった頃…
私は「死にまつわること」や、葬儀やお墓の問題などに、
触れることすらタブーだと思いこんでいました。

しかしながら。自分自身ががんを経験し、
あるいは脳内出血で危険な病状に至ったことで。

私のなかで「死と生とは表裏一体、背中合わせの関係であり、
死を考えることは即ち生きる意味を真摯に模索することだ」と…
ようやくそんな理解の境地に至ったのです。

「東京ゾンビ(ロシアンルーレット)」甲本ヒロト

「一から十まで偶然だ 日が昇るのも偶然だ、夜が暗いのも偶然だ」

本当はこの世に起こり得る全ては当たり前なんかじゃなく、
全てが偶然だったのです。

――今の日本では高齢者の8割が病院で亡くなるそうです。

死が見えないところで為される業になり果ててしまった現代。
本来死ぬことは生命ある以上自然の理なのにも拘らず…

不浄なもの、縁起が悪い事だとしか思えなくなっていたのは、
きっと私だけに限らないでしょう。

しかし。今般のコロナショックが。

これまで当たり前だとされてきた私たちの思い込みを…
新しい価値観にブラッシュアップさせてくれる場面も垣間見えます。

大切な気付きに目覚めかけている今。
生きているだけで本当はものすごい奇跡だったという、
人間として、とても大切な価値観について触れてみましょう。

もはや死を語る事もタブーではない。過去二回死にかけた私

先にお話した「瞳孔が開いた」事件以前にも、
私は重篤な病状に陥って死にかけたことがあります。

早くに死んだ実母の胎からこの世に送られた際。
周産期トラブルによって、
私は第二仮死という状態で生まれました。

実母の妊娠中から胎児の私には何かしらの、
発達の遅れがあるだろうという医師の見立てはありましたが。

出産の際のトラブルが原因で、新生児の私には…
ごく軽度ながら、脳性麻痺が生じてしまいました。

他にも、私には前にお話した“難治性てんかん”はじめ、
微細な障害も多いものの、幾つもの先天性の疾病がありました。

加えて、私には生まれつき発達の遅れがありました。

養親の虐待や、学校でのいじめなど様々な要因から、
二次障害としての精神疾患を発症。

その時、症状の鎮静や治療に用いた向精神薬の副作用によって。
私は全身の筋肉が弛緩、ついには歩けなくなりました。

私にとって、運命はとても非情でした。

さらに国内外の経済状況が悪化していく平成不況を背景に、
私は社会から無情に切り捨てられ。
自ら望まずして「底辺」の人生を押し付けられました。

それでも…死ねない以上、生きるしかありません。

私は自分の出来ることを精一杯懸命にやって、
幾らバカにされても自分の力で生きようと決めていました。

「『死にたい』と叫んだって」晴田 悠加

しかし。四十歳の時、
私はやはり重篤なてんかん発作を起こして意識を失いました。

当時はまだ結婚していて、元夫とも同居していましたが…

彼は妻の私が倒れたことに気づかず、※元夫・談
救急車が呼ばれた時はすでに倒れてから推定7時間が経過した後。

救急車で搬送されるも、受け容れできる医療機関が無く。

倒れて9時間以上が経って、
ようやく救急病院のICUに迎えられた時。

私はやはり瞳孔が開き、何らの反応もなかったらしいです。

それでも、よほど神様仏様は私を拒否っているのか。
私は極楽浄土、天国への「入店禁止」を言い渡されて。
しっかり一命だけは取り留めました…

それで。病院のベッドで次に私が目を覚ました時…
私はまさかの…首から下が完全麻痺!あれ?

その時の感じというのは…口惜しいも悲しいも何もなく。
もう本当に「あれ?」というノリ。

本当に「あれ?」以上の実感が湧きませんでした。

嫁が倒れたことすら「気づかなかった」と主張する夫への憎しみ、
身体が完全に動かなくなった状況に対する悲しみなどは…

ずっとあとになって湧き上がってきた感情です。

生きていく上での「リアル」とは、もはや感情をも超越しています。

どうやら目の前の課題、現実をどうにか解決するほうが先、
悲しむ余裕も怒る気力もすらもなくなるものらしいです。

――自身の首から下が麻痺した現実を理解したのちも。

「それでも」私は生きていかねばならず、
転院先のリハビリ病院でひたすら自分を鍛えました。

最低限の整容や着替え、用便の始末、食事。

ベッドから起き上がって座位を維持し、車椅子に自力で移乗すること。
車椅子を自分で駆動すること…

例え首から下が麻痺して感覚が無くっても。
死んではいない以上、生きているしかない。

生きるためにはさまざまな動作を自分でこなせなければならない。

それ以前に、座ったり横臥したり…
基本的な姿勢を維持できなければならない。

人生を継続すべく、
その頃の私には本当にいろんな課題が山積みでした。

それらは。
自分が倒れる前には「当たり前」のこと、
できるのが当然だと思い込んでいたものばかりでした。

でも…本当は「出来て当然」でも何でもなかったのです。

身体の自由を失うのと引き換えに。
ものすごく大きな気づき、というか…人生の真理みたいなものを、
私は学ばされることとなりました。

二回瞳孔が開くという経験を通じて、私は…
当然だと思っていた現象が実は当たり前でも何でもないこと。

だからこそ「偶然」である生の先に必ず存在する…
死を考え、語ることは何らタブーなんかではないと識りました。

「生きてるだけで丸儲け」と呟きつつ。今を大切に生きたいと希う

父は明石家さんまさん、そして母は大竹しのぶさん。
両親が揃って“ビッグネーム”たるタレントのIMALUさん。

彼女のご本名は平仮名で「いまる」。
お父様のさんまさんが「生きてるだけで丸儲け」という、
ご自身の座右の銘からつけられたのだそうです。

あくまで私の個人的な想像ですが。

親の七光りならぬ「十四光」は羨ましいというより…
少女期のご本人には限りなくプレッシャー、
むしろ重荷でしかなかったことでしょう。

そんなIMALUさんですが。
雑誌の取材の際、こうおっしゃっていたことを記憶しています。

「うちの父は“生きてるだけで丸儲け”。
そう…私の名前に盛り込んでいますが。

自分の名前について、
私自身はこう受け止めています“今を生きる”」。

当時、まだ未成年だったIMALUさんに対して、
心無い報道を繰り返すマスメディアも少なくはありませんでしたが。

このIMALUさんのコメントに、
さすがだな…と私は感服しまくりでした。

さんまさんの「生きてるだけで丸儲け」という言葉は…

鎌倉・建長寺を開山した禅僧、
蘭渓 道隆(らんけい どうりゅう)の教えが基になっているとか。

道隆は「今、現に生きていることこそ全てだ。
それ以外に何を求めるのだ」と自身の講話で繰り返していました。

禅宗では「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」というそうです。

さんまさんの「生きてるだけで丸儲け」には続きがあります。
「人間生まれてきた時は裸。
死ぬ時にパンツ一つはいてたら勝ちやないか」。

――人間は生まれてくる時は裸であり、
死ぬ時もあの世には何も持ってはいけません…
「本来無一物」とはまさにそういう意味なんだそうです。

※もう一曲…晴田 悠加さんの曲を。
「イノセント」晴田 悠加

――湯布院を全国区にした「別府亀の井ホテル」の創設者。
別府地獄めぐりを発案、日本で初めてバスガイドを採用した人物。

今では別府駅前「ピカピカのおじさん」の銅像のモデルになっている、
実業家・油屋 熊八(1863~1935)という人が…
道隆の教え「本来無一物」を今風にアレンジ、
「生きてるだけで丸儲け」という表現で広く世に知らしめ。

のちに「お笑い界のBIG3」たるさんまさんの座右の銘となって。
今日…私たちの心の支えとなる言葉の一つとなりました。

ここでは詳しくは触れませんが。
複雑な家庭に生まれ育ったさんまさんは幼少期から、
壮絶な人生を強いられつつ、現在の地位を確立された方です。

さんまさんは常に死の意味や、転じて生きる意味などを…
備に考えさせられながら過ごされたのでしょう。

だからこそ。
彼を支えた思想としての「生きてるだけで丸儲け」は。

娘のIMALUさんのなかで「今を生きる」という考えに、
新たにブラッシュアップされながら受け継がれていることを…
私は何とはなく幸せな思いで受け止めたりしています。

「俺は幸せな人を感動させたいんやなくて、
泣いてる人を笑わせて幸せにしたいんや。これが俺の笑いの哲学や」。

…苦しみが続くとつい、自分より幸せそうに映る誰かや、
自分より弱い立場の人物を攻撃してしまいがちな風潮において。

今の、誰もがつらい状況に心で寄り添うような…
さんまさんの言葉は温かいものが多いですね。

「笑顔のまんま」BEGIN withアホナスターズ ※作詞:明石家さんま

「僕が笑いを君にあげるから 君の笑顔を僕にください」。

別の見方をすればコロナ禍の今は、
誰もが死の恐怖を通じて…
生きることの意味を再確認している時期であり段階です。

アフターコロナの世界は、これまでの価値観がほぼ覆されて、
全く違う社会の在りようが私たちを待っているのかもわかりません。

でも…見えない未来を過剰に不安がったところで。

今後大きな変化が予測される世の中では…
もはやどうにも変えられない過去を悔やむのと同じくらい、
ナンセンスな作業かもしれません。

それより、今できることを一生懸命しましょう。

ストレスで心がつらくなったら、うまく苦しみを逃しつつも、
今を生き、今楽しめることに向き合いましょう。

つらいからこそ今を超え、今をやり過ごしましょう。
今の自分を大切にしましょう。

…日本人のみならず、世界中の一人ひとりが、
困難に直面せざるを得ないパンデミックに在って。

私たちが理解し得る全ての具象は偶然であり、
「当たり前なんか」では決してないことに気づき。

決して当然なんかではないからこそ…未曽有のコロナ禍が。

しかし、私たちに与えられた「今」を真摯に生きられるような感覚を…
身に着けるための確かな契機としていけますように。

前田 穂花

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