人生は予想外の出来もしないことだらけ(3)

人生は予想外の出来もしないことだらけ(3)

予想外の極意もなし、地球環境破壊に阻まれた今後

今まで、
人にあまり関心を持つことはなく、どちらかといえば冷静に人間ウォッチ程度にしか関心がなかったけれど、七年間信じていた、しかも一生の伴侶と思っていた人を、自分の生活から消し去らなくてはならない事実を受け入れるのは辛く、時間がかかった。

一人になって、何もかもを夫に依存した生活を送り、自分で何も決められなくなっていた、そこから一歩目のスタート。
また人生をイチから歩く、しかもひとりで、しかも方向もみえなかった。

どちらを向いて良いかもわからず、上を向く気にもなれず、ある日電車に乗っていた時の事、涙が溢れて来たことに気にも止めずにそのままだった、、、
目の前にいた若いカップルのギョッと驚いた顔で、今の自分が放心していると気がついた。

個に戸惑った30代を経て、40になった頃、読書が好きだった頃の自分を思い出していた。

自分の部屋に横たわり空をみながら本を読み、
暑い夏に涼し気な空想をした頃の自分が、何の不安も疲弊もなく過ごせたあの時がとても懐かしかった。

大好きな事で生きていけたらいいと、一念発起して公共施設の図書館に勤める事にした。
人に奉仕する事が意外にも自分の心の隙間に染み込んでゆくほど気持ちが良かった。
本を通じてのサービス、読書そのものの楽しみとは全く違う性質の仕事の楽しみを知った時、更に深みにハマるために資格も取得し、更に文化的事業、資料保存、学校教育や
社会を、この年で初めて必要に思う。

人に翻弄される世の中の仕組みの中で、どうあがけば自分なりに生きて行けるのか、そしてそこに到達点はなく、何もかもが「無」であり「駄」
のように過ぎてゆく。

何かの蓄積など一つも求めてはいなかったけれど、車輪の轍の跡のように、デコボコなへこみくらいは振り返れば残っている、、私の人生とはそんな程度のものかも知れない。

と、50代最後の年に、地球の破壊が始まることになろうとは思ってもみなかった。

元々ちっぽけな私に、無事還暦は来るのだろうか?

来年の春までに、ウィルスに征服されないように最期はせめてまだ健康に日々を過ごしている母を看取るまでが、たったひとつの残された役目なのだから。

もし、70まで生きたなら、その前に病苦を味わい克服をした後だろうと思う。

後10年、人類は地球上にて生活が可能だろうか?
そして、来年のオリンピックはあるのだろうか?

コロナに負けないように、明日の生活様式に自分をあてはめて生きることが当面の人類規模の共通目標になってしまった。

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