「母を連れて故郷に帰る。これも終活の一つ?

「母を連れて故郷に帰る。これも終活の一つ?

母を連れて故郷に帰る。これも終活の一つ?

私の母の故郷は九州、高校を卒業後就職、父と知り合って結婚し、子育て東京で50年ほど生活しています。母は戦前の生まれ、中学時代に戦争中、戦後の混乱を経験しています。話しを聞いてみるとクラスメイトの半分ほどは東京または関東地方に、残りの半分はそのまま故郷に住んでいます。

1年ごとに東京と故郷でクラス会

母の年代は結婚すると殆どの人たちが専業主婦、子育てが終わり、身軽に動けるようになると、クラス会という名の元にみんな集まるようになります。それぞれの友達がお互いの場所に訪ねあい、旧友との再会を楽しんでいました。しかし80代に入ると徐々に集まれる人も少なくなってきます。それでも連絡は取り合っています。

家の母も毎年のクラス会、旧友との再会を楽しみにしていました。しかし2014年父が亡くなり、翌年動脈解離を起こし、自信をなくし友人に会いに行くのが難しくなりました。それは母の友達も同じ、それぞれが健康上の問題を抱え始めています。徐々に残っている人数も少なくなり、それでも連絡は取り合って無事を確認しあっています。

体力も付いてきた、行きたいけど自信がない

母の友達の一人、東京散策、演劇を見たりと毎年母を訪ねていた方が、体の具合が悪くなりここ数年お互いに合えない状態が続いていました。母の所に遊びに来ると朝早くからWalkingをしていたその方も、弱気な発言が多くなってきたようです。

私はアメリカ、母は日本と離れて暮らしていますが、毎年日本に帰ります。昨年友人の事が気になるので会いに行きたいけど、飛行機に乗って、電車に乗り換え母の友人の所までいくのが、と言葉ではっきりと言わないけど、一緒に行って欲しいアピールが。だから一緒に行く事にしました。母と二人で旅行に行くのは何年ぶり?考えてみると私の祖母の49日だから30年近く前です。私たち親子はお互いが自分の行きたい所に自分で行くという関係でした。しかし動脈解離を起こした後は、その関係が徐々に変わってきていました。1泊2日、荷物もちを兼ねて出かけました。

会えば昔に戻る

母の故郷では2人の友人に会いました。福岡空港到着後、タクシーと電車を乗り換えて友人の元へ、筑後川に住む川魚「えつ」を出してくれる料亭でご馳走になりました。90歳近くになっても、会えば昔に戻るのか女学生時代の話に花が咲いています。時代は戦時中、当時の先生の噂話やお風呂屋さんに通った生活状況など、何時まで立っても話が尽きる事がありませんでした。それに二人ともとても再会を喜んでいるのが伝わってきます。別れ惜しいままホテルに戻って来ました。

翌日はゆっくりと朝食を食べ、東京に良く出てきていた友人の元へ。駅をおりて日が照る中、田舎道をあるいて母の記憶を頼りに訪ねていきました。友人の娘さんが車を出してくれ食事を一緒に取りました。母親同士は昔話はもちろん、お互いの病気の事、二人とも自分の経験からお互いにアドバイスを出し合い、励ましあっています。私たち娘同士はどのように介護を進めていくか?を話します。

言葉には出さないけど「もしかしたら会うのはこれが最後かも」

昼食の後話をしながら、娘さんが車で母が昔住んでいた家、お墓参りに連れて行ってくれました。私も子供の頃休みのたびに訪ねていた家は、祖母の死後売却され跡形も無くなっていました。子供の目で見ていた道路の広さと大人になってみる広さの違いに驚きました。

飛行機の時間も迫り駅まで送ってもらい、別れを告げるときになりました。別れを惜しむと共に「また遊びに来てね」という言葉の裏に、「もしかしたら会うのはこれが最後かも」という思いが見えます。今回訪ねた友達はみな90歳近く、明日急に具合が悪くなってという事もあるのです。母が友人と再会したときの笑顔は特別で、ほんの数時間の再会でも、飛行機に乗って故郷に友人を訪ねた甲斐があったと感じました。

「来年もまた連れてくるから、だから元気でまた来年」と言って別れましたが、残念ながら今年はコロナで日本に帰ることさえ出来ない、次回もまた行こうと思っています。

母たちは終活とは思っていませんが、これも終活の一つかも知れません。出来るときに心残りがないように、母の終活を手伝いながら私も友達に会っておこうと思っています。

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