祖母の介護の後には母の介護が待っていた

祖母の介護の後には母の介護が待っていた

祖母が死去する頃、母が骨粗しょう症になった

 みなさん、こんにちは!たろうです。たろうは36歳くらいから母と祖母と暮らし始めて祖母の面倒を見るようになりました。祖母は97歳まで生き、祖母を看取った時点でたろうは42歳でした。
 その頃になると今度は母の介護が必要になる状態になっていまいました。
 母は当時76歳でしたが、骨粗しょう症が原因で股関節変形症になってしまったのです。そして主治医に一刻も早い手術が必要だと言われました。
 母はその時、歩くのは自分で歩いていましたが、歩くと太腿が痛いという症状があり、病院にかかったところ股関節が変形していると言われました。
 正直なところ、たろうは若い頃に「親というのは75歳くらいでコロリと死ぬものなのだろう」と思って東京の大学に進学し、母を田舎に残して東京で働いていました。
 それが平均寿命はどんどん延び、またたろうの家系は長生きの家系なものですから、母は現在85歳で生きています。祖母に似たら100近くまで生きるかもしれません。

最初の手術はそれほど大したことではなかった

 その母はこの10年で4回転倒し、先ほどの股関節の手術を含めて3回手術しています。最初の手術は自分で足が痛いからと病院にかかって発見されたので、手術自体はちゃんと計画して行われました。
 まだ母も75歳で、リハビリーも一生懸命頑張ったので一日も車椅子には乗らず、手術翌日から歩行器に乗って歩いていました。
 しかし母も歳を取ります。しかもそもそもが骨粗しょう症の状態です。
 洗濯物を干す時にふらついて転倒、牛乳ビンを外に出しに行って転倒、など転倒が度重なるようになりました。
 腕を骨折したり、反対側の股関節の骨頭を骨折したり、腰を骨折しました。
 その度にたろうが介護しなければなりません。
 たろうはこの家系に残された最後の一人なので、頼る人もまるでいません。近所の人たちも同情はしてくれるでしょうが、何かお願いするのは厚かましいことに思えて、母が転んでも相談すらしませんでした。
 母は転倒するたびに救急車を拒否します。
 一度などまるで歩けない状態だったので、一ヶ月間たろうが介護し、家の中でずっと車椅子を押していました。でも近所の人にそんなことも相談できず、本当に世間から隔絶された状態で母の面倒をみていました。
 母がようやく病院に行くと言ったのは骨折して歩けなくなってから一ヶ月経ってからでした。

公的な支援を受けるようになって状況が好転した

 母は重体になった股関節の骨頭の骨折から2年が経ち、また転倒して今度は腰を骨折しました。再び救急車を拒否しましたが、今度はたろうが救急車を呼んで無理やり救急車に乗せました。
 その時たろうは病院でも医師に対して母の意固地な性格のせいでずいぶん困っていると訴えました。
 そしてソーシャルワーカーさんを紹介してもらいました。そのソーシャルワーカーさんにも母が転倒しやすくなって、それなのに家事を譲らないことなど、すべての状況を話しました。
 ソーシャルワーカーさんが事情をわかってくれることで状況が好転しました。すぐに介護関係者に連絡してくれ、母が家事を続けながら体力を向上させられるよう、家の手すりなども手配してくれましたし、デイケアに行けるように手配してくれました。
 今では母は月に2回のデイケアで筋トレをして転ばない身体づくりをし、そして手すりを使って家事もまだこなしています。
 たろうも母の家事を手伝うことはありますが、できるだけ本人に任せています。やはり母は家事をするのが好きなようなので、楽しみを奪い取らないようにしています。
 今思うに、あまりに自分だけで抱え込んだり誰にも相談しないでおくよりも、ある程度人に頼ったほうが良かったと思います。抱え込んでしまうと悪い方に悪い方に行きますね・・・。ある程度は話さないとダメです。
 この家系に残された最後の者として、あとは犬と母だけは看取りたいと思います。

(写真は母が最初に入院していた時にできた芽キャベツです。食べさせてあげたかった・・・。犬も写っています(笑)

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