まさか36歳から祖母の介護をすることになるとは

まさか36歳から祖母の介護をすることになるとは

色々とタイミングが合ってしまった退職

 みなさん、こんにちは!たろうです。たろうは大学卒業後東京の会社に就職していました。おそらく自分は将来も東京に住むだろうと思って働いていました。老後もおそらくは東京にいるだろう、そう思って働いていました。今、広島に住んでいます(笑)
 どうしてこうなってしまったかというと、勤めていた会社が早期退職者を募集したのです。大掛かりな合併をしたのち、人員削減と人手整理の意味があったのでしょう、今退職したら年収の何倍の退職金を出します、というのをすべての社員に通達しました。
 たろうは迷ったのですが、一応、田舎に残している母に相談しました。母としては、当時母が祖母の世話含め家のことはすべてやっていたので、男手が足りていないと思っていたようです。
 結果、たろうが会社を退職して広島の母の実家に来ることになりました。今、その家に住んでいます。たろうはまだ36歳でしたが、その頃から定活をするようになりました。
 当時、祖母は92歳で、元気でしたけれど、いろいろなことを手伝わないと生活が成り立たない状態でした。

まずは身の回りの世話から開始

 祖母は元気で、自分のことは自分でやっていたし、デイサービスに行くのでお風呂などの面倒は見る必要がありません。
 たろうが何をしていたかというと、まずは薬の世話でした。週に一度、主治医が祖母の診察にきます。そして薬を処方してくれるのですが、薬は調剤薬局に取りに行かなければなりません。祖母は足が弱っていたので薬局までは行けないどころか、近所にすら歩くことはできませんでした。
 そこでまずはたろうが薬を取りに行ったり、薬の仕分けをするようになりました。薬局に寄ったついでに祖母が使っている目薬や風邪薬、紙パンツなど生活必需品も買って帰ります。これが案外ひと仕事になりました。目薬はこの薬局、風邪薬はあの薬局、など回っているうちに結構時間がかかるのです。でもおばあちゃんのことは大好きだったので、不満にも思わずやっていました。

徐々に負担が

 そのうちに祖母は白内障になって手術が必要だと言われました。うちは家から道路に降りるまで石段なので、病院に入院する時も退院して戻る時もたろうがおばあちゃんを背負わなければなりませんでした。要するに力仕事はみなたろうの出番です。
 おばあちゃんは年とともに体も弱り、いつもは元気ですが、何度か入院しました。入院するときにはまた背負わなければなりません。そしてお見舞いと主治医との面談。そんなことが何年か続きました。

最後は泥沼の介護

 そんなおばあちゃんでしたが、基本的に最後まで元気でした。97歳まで生きていました。うちは長寿の家系なのですが、大好きなおばあちゃんを最後まで面倒見れて、それは誇りに思っています。
 ただ、おばあちゃんは死ぬ直前に幻覚を見るようになりました。部屋の中にいるはずもない「赤ちゃんを抱いた女の人」や「壁をスコップで掘るおじさん」などが彷徨い歩くようになり、それをたろうに相談するようになりました。
 おばあちゃんのことは大好きだったけれど、「一体、いつまでこれが続くのだろう」と、疲れが溜まっている時なんかたろうもぐったりとしてしまいました。
 おばあちゃんが死ぬ前日の夜、たろうがスプーンでプリンを食べさせてあげると、おばあちゃんは「こんなに美味しいもの食べたことがない。ありがとう」そう言いました。それが最後の言葉でした。
 そして翌日の朝、救急隊の人が「こんなに安らかな顔で亡くなっている人はいないですよ」と慰めてくれたくらい、穏やかな顔で亡くなっていました。
 最後は下の世話もありましたが、大好きだったおばあちゃんの面倒が見れて良かったと思います。今でもおばあちゃんのことをよく思い出して泣きそうになりますが、きっとおばあちゃんは天国で幸せに暮らしていると思うのです。

報告する

関連記事一覧

コメント

  1. たろうさん。

    大往生されたおばあちゃま、
    彼の世できっとお喜びですね…ご冥福をお祈りいたします。

    家族のない私は…拝読しつつちょっと羨ましかったり。
    それ以上に不思議と心がほっこりしたり♡
    何となく温かい気持ちになれました、ありがとう♡

    とはいえ…今はご高齢のお母様との生活。
    たろうさんもおっしゃらないだけでご苦労はおありかとお察しします。
    ご自愛ください。

    私の実父は広島にゆかりのある人物です。

    たろうさん。瀬戸内の綺麗な海と綺麗なお花に囲まれて…
    心豊かな毎日をお過ごしください。

  2. 穂花さん、

    コメントありがとうございます!

    お父様は広島にゆかりのある方なんですね!

    こちらはのんびりしていますよ。母のことはありますけれど、なんとかやっています。本当、瀬戸内は景色だけは綺麗で、生まれは宮島の対岸でしたから、あそこで生まれて良かったと思います。

    年々夏が厳しくなって花が枯れつつありますが、今は冬野菜など育てています。

    ありがとうございました。

  3. たろうさん。
    次のトピックも併せて拝読させて戴きました。

    おばあさまに続いてお母様…
    こう申し上げては失礼かもわかりませんが、
    男性が女親のお世話をするというのは同性介助(介護)とはまた違う困難が、
    あるのではないかとお察しいたします。

    たろうさんはさらっと「下の世話も…」と述べてはおられますが、
    正直つらい時もおありだったんじゃないかしら。

    自身の祖母や母親は距離が近しいから特に複雑なんじゃないでしょうか…

    ただでも親が年老いて弱っていく姿を目の当たりにする事は、
    子(孫)には切ない思いがするものでしょう。
    若い頃は毅然としていた親ならなおさらです。

    かくいう私もかつては「長男の嫁」。
    老々介護ならぬ「障老介護」に勤しんできました。

    嫁いでいた先は男尊女卑思想が強い地方であり、かつ私は「跡取り」も産めず、
    車椅子に乗っている状態だったので…老人特有の症状を呈した姑から、
    とてもここには書けないような差別用語で詰られてばかり。

    よく泣いていました…

    だからこそ。
    ご身内に対し日々真摯な介護に当たられている方々にはただ頭が下がります。

    たろうさん、お母様の快適な毎日が少しでも永く続くためにも、
    何よりたろうさんご自身のためにも…
    まずはご自身のお気持ちを最優先されてください。

    遠くから憶えてお祈りしています。
    穂花

  4. 穂花さま、

    コメントありがとうございます。

    そうですね、祖母の介護の時も母の介護の時も性別が違うというのはあまり意識しませんでしたかね。
    向こうはしたかもしれませんけれど。
    最後は力仕事ですから、えい!っとやっていたかも(笑)
    今となっては過ぎたことですし。

    穂花さんも辛い思いをされたのですね…。
    姑さんも歳をとってしまって人格が変わってしまったのかもしれませんね。

    穂花さんもこれから自分の時間をお過ごしくださいませ。

    では、ありがとうございました。
    たろう

  5. たろうさん。

    月並みですが…お母様のためにも、
    どうぞいつまでもお元気でお励みくださいね。

    たろうさんもお母様もワンちゃんもお幸せでありますように。

    穂花

コメントするためには、 ログイン してください。