「 千体地蔵」を彫り続けて半世紀 ”石工の爺さん”と供養

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「 千体地蔵」を彫り続けて半世紀 ”石工の爺さん”と供養

「千体観音菩薩地蔵」は供養や回向 ekou のため。歴史は鎌倉時代からある

建造物は優れ、彫刻家による石のモニュメントも数ある直近の「道の駅」が徒歩5分、通りの向こうにあります。
一角にある工芸館。石工の爺さんの石切り場(仕事場)があります。

3代前の町長の意向で質の高い場所が作られたと爺さんが教えてくれた。おかげで恩恵を受けているから政治はやはりスパン長く考えれる方が望ましいと思う。

ある時、犬散帰りに爺さんに呼び止められました。
「これから石を割るので見ていけ!」断る理由もなく・・・あっという間に仕事は終わりました。石は地蔵の大きさに割られました。当地産の柔らかい石です。水を掛けて彫ればマスクの必要はないと教えてくれた。
石工にして80過ぎても元気でいる理由らしいです。

40歳代から千体地蔵を彫り始めて現在は85歳。後、数十体です。
およそ、サラリーマンの就労時間に相当する。
今や「サンタクロース」のような眉毛です。

一つの場所に多数の地蔵菩薩を並べたものは全国各地にあります。
一人で人生を掛けた例はないのでは・・・と調査はしていませんが想像します。
当地の千体地蔵は経緯があって、爺さんが40代に始めることになりました。父親も石屋でした。

設置されている場所(画像)が”まだ見たことはない”「賽の河原」のように石がゴロゴロと転がり硫黄が匂っています。その先に「殺生石」があります。鳥やウサギはうっかりすると死んでしまいます。

火山性のガスが噴出して危険な場所と指定されています。おどろおどろしい出来過ぎたロケーションです。

爺さんが彫る地蔵さんは独特の雰囲気があります。話していると昔からいた(今はもういなくなった)頑固爺さんのようです。石切り場に座っている私をちょいとスケッチしてくださったこともあります。話題が豊富です。

地蔵さんは一体づつ彫ってお布施として奉納します。
そろそろ懺悔の機を探していたところ、私も供養の真似をしてみようかと心動きます。

お地蔵さんが被る「赤い帽子」は奥さまが毎年作り変えているそうです。
手の大きい爺さんです。お地蔵さんも手が飛び切り大きく一定の方向を向いています。
お地蔵さんの前に立つとつい「ごめんなさい」と悪びれて仕舞います。

爺さんの大作は他の石や木のモニュメントと並ぶ大きな牛「草原」があります。
この町には牧場が幾つかあります。風が渡る牧草地に風然と座る牛の姿も独特・・・神がかって”天”を想像します。

道祖神を彫っている時もあります。長野県安曇野には多くあります。道の神「道祖」と「みちの神」が融合したものでこれも歴史がある。

この町には「石の美術館」があります。隈研吾氏が石をテーマに設計された建物です。
近くには大谷石の採石場もあります。いづれも一見の価値があります。

糸を素材にして生きている私には「石」は半永久的な畏敬の存在です。

「御神火祭」gojinkasaiは幻想的な火祭り

殺生石で毎年行われる幻想的な伝統火祭り「御神火祭」(2020年は中止)で爺さんは地蔵様のお話をするmain guestです。

人の生き方として大変分かり易い人生です。数字で割りきれる・・・

970÷40→24 24÷12→2 一か月ほぼ2体彫って40年。
これほどまでに継続して同じ仕事が出来るのもでしょうか。人の一生の就労時間以匹敵します。
一体目から970体目まで何を考えながら彫り続けてきたのでしょうか?

愉快な会話を交わし少年のような眼をした爺さんです。

「供養」とは漠然として聞いてはいました。
身近に心通うものがあり愛おしむのも良いものかもしれません。

・仏教供養 仏様や諸天、菩薩などに対して尊敬の念を示し、香華や飲食の供物をささげる

・追善供養 亡くなった人に対して冥福を祈り、命日に法要を行ったり仏壇に手を合わす。

仕事場の近くに”ガマズミが”実を熟していました。

下北半島の付け根にある六ケ所再処理工場の近くにある「恐山」

フランスに移住した映画監督の「核の大地」を見る機会がありました。
映画の始めは青森「恐山」のシーンから始まり地蔵さんが映されました。恐れず言うならばいつか出かけてみたいと思っていた場所です。赤い橋が架かっているそうです。殺生石の「賽の河原」に繋がります。

お地蔵さんと「核」とウランの再処理工場、象徴的な画像でした。

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