座禅を体験してみました

座禅を体験してみました

人はどんなとき座禅をしたくなるのだろう

(写真はイメージです。このお寺で座禅はやっていません。)

 みなさん、こんにちは! たろうです! たろうはここ数ヶ月、禅寺に行って禅の体験をさせてもらっています。とある禅寺で月に一度座禅会があるので時々参加しています。

 そのときの座禅体験はまた後ほど書きますけど、なぜたろうが座禅に行ってみようかと思ったのかというと・・・。

 それは自分でもよくわからないんですよね。ダライ・ラマの書籍を読んでいて、「悟りに至りたいなら禅定(ぜんじょう)の修行をしなければならない」と書いてあったのを見かけたのと、なんとなく興味があったから、としか言いようがないんです。

 みなさん、座禅なんてしようと思ったことありますか?

 たろうはそれまで考えてもみませんでした。ダライ・ラマの書籍で言う禅定とは瞑想のことで、おそらく日本の禅とは違うんですよね。でもここは日本なので禅定をしようとすると禅寺なわけで・・・。

 これまで五十年以上生きてきて、成功体験ももちろんありますけど、まだまだ至らない点も多いので、禅などしてみようか。そんなふうに思って座禅会に参加してみました。

座禅会はコロナ渦の中行われた

 ですが、今はコロナ渦。たろうが行ってみようと思った五月は緊急事態宣言で座禅会は中止になっていました。ですから初体験は六月です。周りの人との間隔を開け、マスクを着用した状態で座禅会に参加。

 お寺側もコロナ渦に配慮して、座禅堂だけではなく本堂や縁側など、とにかく人との間隔が開くように座らせてくれました。たろうは初体験だったので、いきなり縁側など玄人っぽいところはやめて座禅堂に座りました。

 参加者全員でまずは般若心経をあげ、それから四十分間座禅をするのですが、座禅といっても、言ってみれば座っているだけだけで、何をしていればいいのかよくわからないんですよね(笑)

 イメージ的には、小川が流れていて、欲望やネガティブな感情などの煩悩が湧き起こってきたら、その小川にちぎっては捨て、ちぎっては捨て、するらしいのですが・・・。

 お寺に行って足を組んで座禅をしている状態ですから、特別ネガティブな感情も起こるはずもなく、欲望もそれほど起こることがなく、たろうがずっと思っていたのは「あと何分だろう?」でした(汗)

 平常心を保てていたとも言えますが、まだまだ悟りの境地に至るには何万年もかかりそうですね、こんなのでは・・・。

座禅で見えてきた課題

 それからも座禅に通い続け、できるだけ何も考えないように座っていました。そして家でも短時間の座禅をしています。

 黙って静かに座っているときは欲望やネガティブな感情はあまり湧き起こりません。問題は動いているときですよね。

 人と接しているとき、街へ出かけているとき、ネットサーフィンをしているとき、そんな時に穏やかでいられるか。スマホを見ていると欲しいものがいくらでも見つかって、「今すぐ購入」のボタンに心惑わされてしまいます。

 また、街で買い物をする時なども、果たして自分は他の人の迷惑になっていないだろうか、またムカつく人がいる時に平常心でいられるだろうか、と思いますね。そして母の発言に冷静でいられるだろうか・・・。

 環境を整えて座禅をしていると、あたかも悟りに近づいたように思えるんですが、実際の生活とわたし自身の人格が穏やかにならないと意味がないように思えます。

 そういうふうに分析できるようになっただけでも座禅の収穫はあったのかもしれませんが、座禅をしていて芽生えた平静の芽を育てて実生活でも生かさないといけないなあと思うこの頃です。

 若い頃は慌ただしく働いていたたろうですが、人生の終盤に差し掛かって、一体自分は何を残せたのだろう、どれだけの自分になれただろう、と自問すること度々。

 最後くらいは穏やかになって、身の回りの整理と心の整理をして終えたいものですよね。本当につくづくそう思います。

 みなさんもよかったら座禅などどうですか? 自治体名と禅、で検索すれば禅寺が出ます。大抵の禅寺には椅子も置いてありますよ。

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