■2017/芥川賞『影裏』/映画化に重ねる震災/災害(感染症)

■2017/芥川賞『影裏』/映画化に重ねる震災/災害(感染症)

□「影のさらに濃い部分」に本質が潜む

・「影裏」 2017年  芥川賞  沼田真佑 #影裏 #えいり

四六伴 百頁にも満たない「本」が町の高原図書館の新刊の中にみつけました。

この作品が 2020/02/14 映画化され公開されたようです。つい二か月前です。
「綾野剛&松田龍作」   監督「大友啓史」

ネットで予告編を見ることができます。”もし、今回の騒ぎがなければ” 2月14日 きっと話題作だったのかもしれない・・・そのようなことを考え始めました。

「影裏」という名詞は勿論沼田氏の造語。本を読んだ後、映画に興味をもちました。

著者の沼田氏は北海道に生まれ九州で育ち物語は岩手(盛岡)が舞台です。現在は盛岡在住です。

私が知っている街の香りがします。湿っぽい風と草を分けながら流れる水の音などがリアルで若い新鮮な文面です。

「もし・・・だったら」「・・・れば」はタブーです。しかし、この春は数えきれないほどの「tara 」「reba」が世界中の人の数・・・またはその二乗ほどあったことでしょう。

ここ数年指で数えても様々な 災害/震災 に見舞われ多くは受け入れる事でしかないと思っていました。
順番が回ってきても「腹を決める!」長々生きていてそれしかないと自分に言い聞かせていました。

災害が小さくても大きくても突然の災害で人一人が亡くなることの遺族の悲しみは同じです。
命は尊いと思います。

『影裏』も「東日本震災」をきっかけにクールを装って生きて居ても、人の繋がりを手繰ってみたかったのかなと想像しました。

「影の裏」 アラフォーティの作者「その人物の影のさらに濃い部分を捉える」のセリフがこの世代を考えさせられました。人生、未だ二分の一弱!

戦中派との谷間、高度成長期と青春が重なって、右肩上がりに生きてこられた世代と違った価値観です。
繊細ですが、どこか「諦め」が生き方を決めているかのように思えます。

・手前味噌になります。織物の技法に「シャドウウィービング」があります。

影織? 濃い色と白または白に近い色を一本おきに織り進みチョットしたトリックで影(濃い色)と裏(白または白に近い色)が逆になってデザインが出来ていきます。
平織ですが色の効果と後は織機のおかげだと思って織っています。

他方、日本では伊豆の地名 「網代(ajiro)織り」といわれる技法があります。
しかし考え方は同じでも「似て非なる」と私は理解しています。

一年に一度は織りたくなる不思議。
織ながらトリックにかかったような錯覚に満足しています。(画像参考)

□ 「シャドウウィービング」は影があってこそ・・・

結論

福島原発の事故が起こった時、比較的近く(私が思うに東京も範疇)に住んでいました。
選択が迂闊であったと後悔しました。

事実を知って恐れようと、随分勉強をしました。
100年経っても元に戻らない!のです。核種の畏敬は今も続いています。
小さな子供を連れて遠く(北海道・沖縄)に逃げてしまった方も多くいますが、この度は地球規模です。

あの事故の時は妙に余所余所しく「自分は何が出来るか?」と客観的な立場で「ボランティアをしてきた」とか聞いていました。

地球規模です。逃げるところもなく、愚痴をこぼしてもウィルス相手です。
東日本震災直後は街も暗くなり、24時間営業の店もなくなっていました。
明かりを消した後の影と光の美しい航空写真を見たことがあります。

救急車の音のように騒いでも致し方ありません。
一か月後か半年か一年かまた10年後か分かりません。どなたも分かりません。
人類の歴史です。ピンチを生き抜いて淘汰されてきました。

テレビを止めて頭で考え・・・多少の不便がそのうちに普通になるまで巻き戻しては如何なものでしょうか?
影が浮き彫りになります。

「現代教育行政研究会代表」前川喜平氏が東京新聞コラムに「子供の一日は大人の一か月にも匹敵する。一日一日が大切な大切な学びと育ちの時間なのだということを忘れてはならない。」と結んでいます。

「ゆとり世代」の子供たちは大きく報じてはいませんが、実は今もトラウマになっていると子供達自身から話を聞いています。もし、私が同じ立場の親だったら・・・どうしていたのだろうと考える日々です。

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